『マーニー』
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「アルフレッド・ヒッチコック」の記事における「『マーニー』」の解説
『鳥』の次の作品となった『マーニー』は、ウィンストン・グレアム(英語版)の同名の小説(英語版)が原作で、1960年に出版された時に映画化権を手に入れていた。『鳥』撮影中の1962年3月には、すでに引退してモナコ王妃となっていたグレース・ケリー主演でこの作品を映画化することを考えていたが、ケリーとの交渉は上手くいかず、代わりにヘドレンを再び起用した。この作品は窃盗癖のある女性(ヘドレン)と、その異常性に魅かれて彼女を愛する男性(ショーン・コネリー)が主人公の心理的なメロドラマである。ヒッチコックは脚本をハンターに依頼したが、のちにジェイ・プレッソン・アレン(英語版)にまったく別のアプローチで改稿させた。ヒッチコックはこの作品のために、愛犬の名前にちなんで名付けた新しい製作会社ジェフリー・スタンリー・プロダクションを設立し、1963年9月に撮影を始めた その撮影中、ヒッチコックのヘドレンに対するセクハラはエスカレートした。ヘドレンによると、ヒッチコックはメイク部に自分のためにヘドレンの顔をかたどったマスクを作らせるよう要求したり、ヒッチコックの部屋と隣のヘドレンの控え室の間に扉を作って直接行き来できるようにしたりしたという。スポトーによると、1964年2月末のある日には、ヒッチコックは控え室でヘドレンに性的関係を求め、やがてヘドレンのキャリアを台無しにすると脅迫めいたことを言ったという。それ以来ヒッチコックはヘドレンに話しかけるのを拒み、第三者を通じてコミュニケーションをとった。そのうえ作品に対する興味も失くし、技術上のディティールやスクリーン・プロセスやセットの使い方などにも注意を払わなくなった。 1964年7月に作品は公開されたが、批評家の反応は概ね批判的で、その意見の多くは技術的な稚拙さと異常心理を極端に単純化した点の古臭さを指摘した。『ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン』誌は「気の毒なほど時代遅れで、情けないほど愚直―まったくの期待はずれである」と評した。作品は興行的にも失敗し、スポトーはこの作品でヒッチコックが「大衆の支持を失った」と述べている。ある新聞にはヒッチコックが「現代の観客の心をつかみそこなったばかりか、いっそう嘆かわしいことに、あのテクニックとユーモアまで失ってしまった」と書き立てられた。ユニバーサル・ピクチャーズからも失敗を繰り返さぬよう横槍が入り、この次の作品に企画したジェームス・マシュー・バリーの戯曲『メアリー・ローズ(英語版)』の映画化も、会社の反対で実現しなかった。さらにジョン・バカンのスパイ小説『三人の人質(英語版)』の映画化や、イタリアの脚本家コンビのアージェ=スカルペッリのオリジナル・シナリオで『R・R・R・R』を撮ることも企画したが、これらも実現には至らずに終わった。
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