林学教育の歴史とは? わかりやすく解説

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林学教育の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 16:01 UTC 版)

林学」の記事における「林学教育の歴史」の解説

林学は英語で silviculture であるが、林学教育は英語にするとフォレストリー・エデュケーションである。フォレストリーforestry )は日本語では林業とも林学ともなるので、大学教育高等教育中心に述べていく場合、これは「林学教育」となる。ただし林学教育は、洋の東西を問わず林業技術者育成教育目的として始まりその後もその流れ続いている。 『ドイツ林学者伝』(片山/ 林業経済研究所, 1968年)によると、林学教育始まりとして林業技術者教育最初方式は、いわば親方学校とも云うべきものであった。マイスタースクール、マイステルシューレであり、最初ドイツ1763年始まっている。当時林学の大親方といわれる人は2人いて、有名なコッタドイツ語版)とハルティッヒであり、それぞれ親方学校持っていた。親方すなわちフォレストマイスターは各6人の学生徒弟)を割り当てられていた。今日学校はこの2校が次第に拡がっていったのであり、こうしてやがてドイツ林業技術者ロシア森林経営まかされたり、林学教育頼まれたりするようにもなった。この方式では、学生達は親方近く起居し、かつ働いている。彼らはほとんど毎日親方接触し徒弟として仕え多く仕事をした。実際に山を視たり、討議聴いたり、また経営案作成を手伝ったりすることによって、森林官責任役割技術学んだのであるマイスター学生親しくなることによって、その長所や、森林財産の管理経営者としての資質判定することができた。なおコッタとハルティッヒの親方学校創立は、それぞれ1785年1789年であったが、前者が後にターラント林学校に発展していったのである。このマイスター方式当時としては一般的で、新し職業になってきていた法律家医師教育についても同様であったパリ大学のような学問の大センターでさえ、ずっと早くから採用されていたというほか、林業ではこの方式は20世紀まで一部存続していたのである林学教育次のパターンは、ユニバーシティ(必ずしも完全な総合大学とは限らない)の中にあり、その緊密な一部としての林学校である。親方学校政府系の林学校に属したように、実際家教育し運営する林学校は、大学林学校に道を明けることになってきた。『林学概論』(島田錦蔵/著/ 経営評論社, 1952年)にオーストリア林学校は1875年にマリアブルンからウイーン農科大学移管イタリア林学校は1910年フローレンス大学移されたとしている。スイス林学教育当初からチューリッヒ工科大学1885年スタートしている。 アメリカでは1898年最初林学校がコーネル大学創設された。現在ここには林学科は無いが、当時林学者の名をつけたホール記念に保存している。1900年林学大学院イエール大学中に設けられた。米国林学会の『世界林学校名鑑』によると、当時収載された137校の中で、データ収集時点で完全に大学から独立しているように見受けられたのが、6校のみである。もっとも、このリストにはソ連中国本土含まれず、東欧も不十分である。旧ソ連邦について云えば、1958年時点でも独立林学校と大学合併林学校と両方持っていた。 世界林学校の大部分が、今日総合大学中に位置するということはそれだけ大きなメリットがあってのことであり、残っていた学校次々と既存大学合するようになったターラント林学校はドレスデン工科大学一部であり、ハノーバー・ミュンデンのそれはゲッティンゲン大学一部に、ラインベックのそれはハンブルク大学一緒になった。フィリピン大学フィリピン総合大学一部に、トルコ林学部イスタンブール大学一部になっているし、他にも多数挙げることができる。しかし又一方大学との結び付き持たず、またそれを作ることが出来ない潰れていくものも若干あった。独自の援助のある少なからぬ林学校では、大学非公式縁組をしているものもある。例えラングーン大学では、林学先生は国の林務庁から来るが、専門学位大学から与えられる。国は教育支えてくれるが、学生林学コースの方でも大学プロパーコースでも、どちらでも選べるのである同様なパターンパキスタン林学校が、ペシャワル大学との協力行なわれた。フランスナンシーの現フランス国立農村工学・河川・森林学校は、強力な援助受けて来たのであるが、工・農学部アカデミック結び付き1965年には合併したのである。スウェーデン・ストックホルムでは、農学部獣医学部と共に農科大学形成した1977年)ほか、スペイン・マドリードの林学校についても同様のことが見られる世界主要な林学校の中で、総合大学との結び付が全く無し運営されている唯一のものは、インドデラ・ドゥンインド大学である。しかしこの学校は、本来理論的な教育力を入れ研究機関のようである。それにこの学校は、入学するのに学士号を必要とする、いわば大学院大学のであるこのような強味有するデラ・ドゥン林学校の学生なのだが、アメリカ他国大学院行って修士タイトルを取るのには、大変な苦労経験するという。 以上から、林学教育は既に1760年代ヨーロッパにその端を発しているといってよい。これは林学校という明瞭な組織制度発生前提とすれば検証できるからである。

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「林学教育の歴史」を含む「林学」の記事については、「林学」の概要を参照ください。

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