東西の福助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 18:59 UTC 版)
「中村福助」の名跡がかくも長きにわたって分裂しつづけた理由の一つに、東西の三代目福助の器量の差があげられる。大阪の三代目福助は傑出した役者だった。時代物と世話物を特に得意として、早くから風格のある芸風を見せていたが、これが後に関西歌舞伎の屋台骨を背負う大看板となり、大正の末年まで舞台に立ち続けて81歳の大往生を遂げた名優・二代目中村梅玉である。 一方東京の三代目福助はというと、実は大阪の福助よりもさらに6歳も年下だった。二代目福助の「高弟」というのも、実は以前に初代福助の養子となったが後に離縁されたという経緯があるからで、芸の方も和事、実事、敵役、女方と幅広くこなしたが、今ひとつ際立った芸に欠けていた。 明治14年 (1881) には業を煮やした宗家の初代中村兒太郎に「意見」されて「福助」の名跡を彼に譲らざるを得なくなり、自らは中村壽蔵と改名したが、鳴かず飛ばずで失意のうちに数年後43歳で早死にしてしまった。 事実上三代目に圧力をかけるかたちで「福助」の名跡を奪い取った初代兒太郎改め四代目福助こそ、やがて「東西随一の女形」と謳われる大役者となった五代目中村歌右衛門である。彼はそもそも初代福助の高弟で、その養子にまでなっていた。ところが初代福助の跡を襲ったのはその実弟で、しかもその跡は二代目の高弟が継いだことから、兒太郎は宗家とはいえ一時は傍系に近い立場にあった。やがて大阪の三代目福助に比べて東京の三代目福助が年を追って見劣りするようになると、兒太郎は「宗家の立場」で意見してこの逆転劇を成功させたのである。同じ門弟あがりでも、宗家の養子になっているのといないのとでは、発言力にこれほど大きな違いがあった。 こうした事情もあって、東京の四代目福助はこの「福助」の名跡にひとかたならぬ愛着をもっていた。しかしそれを執着であったがごとく見なして「福助の名跡は一瞬たりとも空白にすべからず」云々と遺言したというのは、後年になって広まった伝説の域を出ない。東京ではたしかに大阪の倍の福助が生まれたが、これは四代目福助が四代目芝翫を襲名したのち五代目歌右衛門を襲名したため、以後東京の「成駒屋福助」は「芝翫」と「歌右衛門」両方の前名になってしまい、使用頻度が倍増したからに他ならない。もっとも、今日ではこの「伝説」は「事実」としてその子孫にも受け入れられている。 また、成駒屋四代目の長男である成駒屋五代目福助は父に先立って早世してしまったが、逝去の同年のうちに次男にこれを与えて成駒屋六代目福助とし、更には次の自らの後継者とした。この時の襲名速度に加え、五代目の遺児が存在したことで、成駒屋嫡流そのものが二系統に分裂したことも福助の襲名数が増えた遠因、また「一度たりとも~」を実践しているかのように見える要因である。五代目と六代目は17も年が離れており、五代目の遺児は逆に六代目より僅か11年下なだけであった。間もなく四代目も亡くなり、六代目もこれを慮って甥の系統を将来の後継者とした。一方、六代目自身の妻もまた早世し、実子に恵まれることはなかったが、妻の縁戚筋の子を養子にしたことで六代目の系統も続いた。これより暫く、成駒屋嫡流は「兒太郎(児太郎)」→「福助」→「芝翫」→「歌右衛門」と三度の改名を経る系統となった。歌舞伎界で三度の改名を経る例は少なくないものの、宗家の襲名としては多く、また襲名舞台も大きな名跡の系統だとその分大きくなる。 1941年、六代目福助は六代目芝翫を襲名し、同時に甥に七代目福助を襲名させた。また1967年、六代目芝翫改め六代目中村歌右衛門は、甥七代目福助を七代目芝翫に、自身の養長子・二代目加賀屋福之助を八代目福助に、そして初舞台を迎えた七代目の長男を兒太郎に、それぞれ遇した。このたすき掛け襲名は何れの福助の存命中に名を継がせ、親や従兄など先代がより大きな名を襲名する際に付属させる形で福助が襲名されてきたため、六代目襲名以降「一度たりとも」成駒屋福助の名は途絶えていない。加えて二系統がそれぞれ中間名跡を交互に襲名することで、襲名スピードが上がったのである。 さて大阪の福助は、さすがに「歌右衛門」を襲名することまではできないので、三代目歌右衛門が俳名として使っていた「梅玉」をあらたに名跡として独立させて「高砂屋」をたて、いずれそれを止め名として襲名する名跡に落ち着いた。高砂屋の三代目福助が二代目梅玉を襲名すると、その養子がすぐに高砂屋四代目福助を襲名、これが二代目梅玉の死去後に三代目梅玉を襲名し、その養子がまたすぐに高砂屋五代目福助を襲名。こちらも「福助」の名を絶やすことはなかったのである。
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