東西の通り(丸竹夷)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:02 UTC 版)
「京都市内の通り」の記事における「東西の通り(丸竹夷)」の解説
丸竹夷二(まるたけえびすに)押御池(おしおいけ) 姉三六角(あねさんろっかく)蛸錦(たこにしき) 四綾仏高(しあやぶったか)松万五条(まつまんごじょう) 雪駄(せった)ちゃらちゃら魚の棚(うおのたな) 六条三哲(ろくじょうさんてつ)通りすぎ 七条(ひっちょう)越えれば八九条(はっくじょう) 十条東寺(じゅうじょうとうじ)でとどめさす 丸太町、竹屋町、夷川、二条、押小路、御池、姉小路、三条、六角、蛸薬師、錦小路、四条、綾小路、仏光寺、高辻、松原、万寿寺、五条、(雪駄屋町)、鍵屋町、(銭屋町)、(魚棚)、六条、三哲、七条、八条、九条、十条、東寺 なお、雪駄屋町通は現在楊梅通、銭屋町通は現在的場通、魚の棚通は現在六条通。三哲は塩小路通。 下を「五条」で唄を終えることもある。また、魚の棚以南の個所には異なって伝わっている歌詞が多くある。比較的よく歌い慣らされているのは、上記の通り、十条通を歌い込むものだが、三哲通(塩小路通)が七条通より早く歌われるとともに、九条通にある東寺を十条通とともに掲げるなど、実際の通りの順序と異なって歌われている。さらに十条通は昭和期に作られた新しい通りであることなどから、語呂合わせを混ぜながら時代により変化していたとも考えられている。 なお、上は丸太町通から始まっているが、江戸時の町家の上手はおおむね丸太町から始まり、下は五条程度であった。また、昭和初期まではその外では田畑も多かった。このため終わりが七条までになっている歌詞もある(下表参照)。 雪駄(せった)ちゃらちゃら魚の棚(うおのたな) 珠数屋二筋(じっずやふたすじ)万年寺(まんねんじ) 七条(ひっちょう)越えて通り道なし なお、万年寺通は現在花屋町通で、「珠数屋二筋」の上珠数屋町通・下珠数屋町通より北にあり、これも通りの順序が入れ替わって唄われている(中珠数屋町通である正面通は唄われていない)。 また、通りを歌う順番を実際の並びの通りに示した歌詞もある。 雪駄(せった)ちゃらちゃら魚の棚(うおのたな) 七条三哲(ひっちょうさんてつ)通りすぎ 八条(はちじょう)越えれば東寺道(とうじみち) 九条大路(くじょうおおじ)でとどめさす また、丸竹夷の最初につけて丸太町通から北の東西通り名を歌いこむ歌詞として、以下のものがある。 鞍や寺(くらやてら) 上立五つ(かみだちいつつ) 今や元(いまやもと) 武一中立(むいちなかだち) 長者三通り(ちょうじゃみとおり) 出水下(でみずしも) 椹木(さわらぎ)… 鞍馬口、寺之内、上立売、五辻、今出川、元誓願寺、武者小路、一条、中立売、上・中・下長者町、出水、下立売、椹木町 また、丸竹夷も、寺御幸についても、上に掲げるもの以外のバリエーションは数多く存在する。また、丸竹夷(東西の通り)に続いて、寺御幸(南北の通り)を歌うものもある。 寺御幸 「浄福千本(じょうふくせんぼん)さては西陣(にしじん)」 丸竹夷 「九条十条(くじょうとうじょ)でとどめさす」
※この「東西の通り(丸竹夷)」の解説は、「京都市内の通り」の解説の一部です。
「東西の通り(丸竹夷)」を含む「京都市内の通り」の記事については、「京都市内の通り」の概要を参照ください。
- 東西の通りのページへのリンク