東西を股にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 05:24 UTC 版)
南関東へやってきたアサヒマロツトは、その緒戦でいきなり古馬のB2級と対戦するとこれを破っている。4月20日、南関東アラブ三冠の1冠目である千鳥賞へと出走したが、これは馬場の悪さに加えて佐々木竹見騎乗・イクタガワに先手を取られる不利もあって4着に敗れた。その後はすぐさま園田競馬場へと戻ると、5月頭の姫路開催で兵庫競馬に復帰。そして5月17日、園田競馬場で行われた楠賞を逃げ切ると、アサヒマロツトは中10日の強行軍でふたたび大井競馬場へ舞い戻り、アラブダービーへの出走を果たす。 アラブダービーでは最内のグリンバーデーがロケットスタートでハナを主張したが、その外からアサヒマロツトが競りかけ逃げる形へ持ち込むことに成功する。2番手集団を形成したトヨカメワールド・グリニツチらを3コーナー半ばで振り落とし、中団から位置を上げてきたスピードウララ・オーギモアらも直線不発。アサヒマロツトには絶好の流れかと思われたが、道中は3番手まで下げていたグリンバーデーが再び伸びて叩き合う展開となる。最終的にこの女傑に3/4馬身競り落とされ、アサヒマロツトは惜しい2着に終わった。 その後、アサヒマロツトは古馬のオープン戦を1勝したのち、ワード賞を3着。そして8月6日の川崎の白百合賞で8着と惨敗したのを最後に、8月半ば園田競馬場へと帰還する。そこからは3戦して1勝2着1回とやや調子を崩したが、兵庫三冠の最終戦となる六甲盃は見事に逃げ切り、史上初の兵庫三冠達成馬の栄光に輝いた。
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