東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 15:00 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (2000年以降)」の記事における「東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故」の解説
2005年(平成17年)3月15日 16時50分頃(踏切障害事故) 東京都足立区の東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚駅南側の伊勢崎線第37号踏切で、女性4名が浅草行き上り準急列車(当時)にはねられ、2名が死亡し2名が負傷した。 当時、この踏切は手動式(第1種乙踏切)であり、東武鉄道の係員が操作していた。事故発生前の列車が通過後に列車の接近を知らせる警報ランプが点灯したが、次の準急列車通過までに余裕があると踏切警手が思い込み、遮断機のロックを解除して2 - 3m上げてしまうという操作が原因だった。 東武伊勢崎線は北千住駅 - 北越谷駅間を複々線化する際、同時に西新井駅 - 竹ノ塚駅間の一区間を除き高架・立体交差化を行っていた。この区間は竹ノ塚駅のすぐ南側に東京地下鉄(東京メトロ)の千住検車区竹ノ塚分室が立地しているなどの理由により高架化が困難なため、踏切をそのまま残して平面交差のままとしていたと東武鉄道は説明した。その一方で同分室への入出庫列車や駅北側でも当駅始発・終着列車用留置線との出入りが頻繁にあったため、どちらもいわゆる「開かずの踏切」となっており、自動化すると遮断時間が長くなる恐れがあったため手動踏切として残していた。 しかしながら、輻輳するダイヤの影響で踏切の待ち時間は長ければ20分以上に至ることもあり、列車が通過して遮断機が開いたかと思いきやすぐさま警報機が作動して遮断機が再び降りるという現象も頻繁に発生しているため利用客からの苦情が絶えなかった。さらに、悪質な者は詰め所のドアを蹴ったり、警手に対して罵声を浴びせていた。精神的圧迫を感じていた警手らは「一人でも多くの待ち時間を減らしたい」と考え、焦って踏切に駆け込んできた横断者に対して、違法であることを知りつつロックの解除を行った。この踏切を操作していた警手は2006年2月に禁錮1年6か月の実刑判決を受ける。 事故後東武線内に存在していた手動踏切はすべて自動化され、竹ノ塚駅の前後に存在する踏切では踏切道の拡幅や歩道橋の設置が行われた。また、京成電鉄京成高砂駅にあった手動踏切も自動化された。 さらに国土交通省もこの事故を踏まえて踏切対策のスピードアップを図る方針としている。なお、この事故をきっかけに現場付近は立体化されることになった。もし、事故が発生した踏切を高架化工事せずにそのまま廃止した場合は近隣利用者が大きく迂回することを余儀なくされ、迂回路の渋滞の誘発も予想されたことから行われなかった。 制度が改正されたことなどにより2011年3月31日には都市計画が決定し、12月20日には東京都から事業認可を取得した。そして、2012年3月30日に東武鉄道株式会社と費用負担や施工区分などを取り決める施行協定を締結。10月29日、10月30日に地元への工事説明会を開催し、11月4日、起工式を迎えた。事故発生から約7年7カ月で連続立体交差事業に工事着手できるのは異例の早さである。2021年3月に高架化工事完了予定であったが、草加寄りの高架橋建設時に使用した鋼矢板約2000枚が線路内に埋設していたため、この鋼矢板の撤去作業が必要となり延期。2022年3月にこの踏切は廃止された。
※この「東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (2000年以降)」の解説の一部です。
「東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故」を含む「日本の鉄道事故 (2000年以降)」の記事については、「日本の鉄道事故 (2000年以降)」の概要を参照ください。
- 東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切死傷事故のページへのリンク