木造3000形とは? わかりやすく解説

木造3000形

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 02:10 UTC 版)

東京都交通局3000形電車」の記事における「木造3000形」の解説

1923年大正12年)から1924年大正13年)にかけて日本車輌田中車輛(現・近畿車輛)、藤永田造船所汽車会社にて610両が製造された。木造低床ボギー車だが、車体堅牢化のために屋根組には鉄骨採用されている。屋根二重屋根となっているが、丸屋根との折衷的なデザイン採光用の小窓などは設置されていない本車特徴としては、デッキ廃して乗降口客室一体化した近代的な構造となったことがあげられる。これはモーター小型化に伴い車輪それまで直径790ミリから660ミリ小径化したことで、客室床面ステップ1段で乗降できる程度下げることができたためである。このため本車同様の設計用いた車両低床車、従来形の車両高床車と呼ばれ区別されるようになった朱色基調塗色高床に対して3000形車体塗装緑色使用していたため、「青電」の通称もあった。台車D10型、主電動機は37.2kW、もしくは38kWのものを2個搭載し東洋電機製造三菱電機芝浦製作所国産品全面的に採用された。また1653形に続き空気ブレーキ標準採用した集電装置トロリーポール製造当初架空複線式のため集電用と帰線用の2本ずつ前後2組設置されていた。 当初100両(3001 - 3100)が発注され1923年4月より順次入籍したが、このうち13両は同年9月1日発生した関東大震災により焼失した震災直後12月より車両不足に対処するため日本の路面電車車両としては異例大量生産が行われ、翌1924年7月までに510両(3101 - 3610)が製造されたが、このグループでは新たに戸袋窓が設けられている。震災前三田及び青山車庫のみに配備されていたが、震災後はほとんどの車庫配備され復興真っ只中東京市内のほぼ全線区で使用された。 このうち青山車庫所属していた3134号は1929年3月陸軍トラックとの接触事故大破し、翌1930年に半鋼製車として復旧した異端車である。載せ替えられた半鋼製車体は同年増備された5000形準じた車体幅2440mmの絞りのない幅広車体で、復旧後新宿車庫配備され5000形同様に11・12系統使用された。 震災後から昭和初期にかけての東京市電代表する車となったが、事故火災により1944年昭和19年)末までに42両、太平洋戦争による戦災372両を焼失したこのうち1943年昭和18年3月発生した早稲田車庫火災焼損した14両は復旧の際に2000形改造されている。また戦災焼失車の台車台枠等は戦後製造され6000形等に流用された。 1948年昭和23年5月改番事故廃車となった1両を除く196両が3001 - 3196(3196号は前述の半鋼製復旧車3134号)に改番された。しかし翌年には鋼体化改造始まり最終的に1952年昭和27年)までに半鋼製復旧車含む全車が鋼体化もしくは2000形改造された。末期3000形鋼製3000形続き番号となるように改番重ねられたため、元の車番不詳である。なお、2000形改造され車両のうち2両の車体のみが秋田市電譲渡されている。

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