鋼製3000形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/16 02:10 UTC 版)
「東京都交通局3000形電車」の記事における「鋼製3000形」の解説
1949年(昭和24年)から1953年(昭和28年)にかけて局工場や日本車両、汽車会社等の民間6社で242両が改造・製造された。車体は6000形に類似しているが、製造年度や製造所により多少の差異が見られる。 1949年度の製造分は主に木造3000形を鋼体化したもので、その他1400形や王子電気軌道からの引継車100形・120形・150形・170形を種車としたものも存在する。同年6月に1号車となる3001が大塚車庫に配備され、年度内に213両が誕生している。 その後も1950年(昭和25年)から1953年(昭和28年)まで、完全な新造や150形、木造の旧4000形・4100形・4200形を種車とした29両(3214 - 3242)が誕生し、本形式は290両が在籍した6000型に次いで多い242両の大所帯となった。これらのグループは都合3度に渡り増備され、1952年度(昭和27年)の製造車(3227 - 3232)からは側面窓が9枚(従来は10枚)となり、車体幅も鋼製2000形と同様の2,154mmに狭められドアエンジンが装備された。 最終増備車となった1953年度(昭和28年)の製造車(3233 - 3242)は局工場の他、民間3社(東急車輌・ナニワ工機・日本鉄道自動車)で製造されたが、各社局ごとに側面窓枚数や窓構造、スカートの有無、行先表示器の寸法、台車形式等に差異が生じている。 前述の通り6000形に次ぐ大所帯で、4000形・6000形と共に都電の顔として活躍したが、路線縮小が始まった1967年(昭和42年)より順次廃車が進行し、1972年(昭和47年)11月15日付で全車が廃車となり形式消滅した。
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