最終夜「Last Night of the Proms」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 18:20 UTC 版)
「BBCプロムス」の記事における「最終夜「Last Night of the Proms」」の解説
イギリス国内ではその模様はBBC2チャンネルで前半、BBC1チャンネルで後半部分が中継されるのが通例となっている。 伝統的に最終夜はより軽く、くつろいだ傾向の構成で、初めにポピュラーなクラシックの曲目、続いて第2部の最後に一連の愛国的な曲である「ルール・ブリタニア」、ヒューバート・パリーの「ジェルサレム」(ウィリアム・ブレイクの詞による)、エドワード・エルガーの行進曲「威風堂々」第1番、国歌「女王陛下万歳」が演奏される。(この4曲は必ず演奏される。)近年は「人生ひとりではない」も頻繁に演奏されている。 当夜のチケットの人気は高い。それ以外のコンサートの少なくとも5回のチケット購入を行うこと(「Five-Concert Rule」と呼ばれる)が最終夜のチケットを獲得するための条件となっている。そして「プロマー」たちは当日のより良い立ち位置を確保するため、早くから行列(しばしば徹夜)することとなり、こういったことが否が応でも雰囲気を盛り上げていく。加えて、素敵に着飾ることも恒例である。ディナー・ジャケットの者もあり、サッカーのイングランド代表チームのユニフォームを着用する者もあり、愛国的な語句を並べたTシャツを着用する者もあり、さらに国や地域などの旗や風船、クラッカーを持って入場することも自由である。一連の愛国的な曲は、旗を持つ者はそれを振り、聴衆全員で歌うのが慣例となっている。特に「ルール・ブリタニア」と「希望と栄光の国」の歌詞がつけられた「威風堂々第1番」はサビの部分は必ずアンコールとなる。古くからの最終夜の定番の1つであるヘンリー・ウッドの「イギリスの海の歌による幻想曲(英語: Fantasia on British Sea Songs)」が演奏されるときは「水兵のホーンパイプ」の楽章も必ずアンコールされる。最後の最後に場内の全員が起立してイギリス国歌「ゴッド・セーヴ・ザ・クイーン(キング)」を斉唱し、この時は楽団員も起立したまま演奏する。その後聴衆と舞台上の合唱団が隣の人と腕を組み、楽器演奏なしで「Auld Lang Syne(蛍の光)」を歌うことが慣例である。 最近は一連の愛国的な曲や国歌の演奏時にヘンリーウッドの胸像を中心にイギリス国旗(ユニオン・フラッグ)をあしらった照明が大きく投影されるようになった。この時ソリストが歌唱する場合は、衣装のデザインを愛国的にしたり、愛国的なパフォーマンスを行うこともしばしばである。例えば2008年のブリン・ターフェル(ウェールズ人)は袖にアイルランドとスコットランドの旗、襟にイングランドの旗とイギリス国旗、胴にウェールズの旗(ア・ドライグ・ゴッホ)をあしらった衣装を着用、2009年のサラ・コノリーはネルソン提督の衣装(当然ながらレプリカ)を着用し、刀身がイギリス国旗になっているサーベルを抜いて振る、2011年のスーザン・ブロック(英語: Susan Bullock)は、ユニオン・フラッグと連合王国を構成する4ヵ国の国花を胸甲・盾・兜にあしらった女神の衣装に槍を持つ、といったものであった。イギリス人以外が歌唱する場合もイギリス国旗をあしらったり、イギリス国旗と歌唱者の祖国の国旗を組み合わせた衣装で歌うこともある。 当夜、ヘンリー・ウッドの胸像は「プロマー代表」の献ずる月桂冠で飾られ、またその代表はウッド卿の禿げ上がった額の汗を拭う仕草をする慣例である。コンサートも終盤に差し掛かると、指揮者は時にユーモアを交えつつ音楽家と聴衆に感謝し、そのシーズン全体を貫くテーマを回顧するスピーチを述べる。また聴衆とともにヘンリー・ウッドを讃えること、プロマーに感謝の意を示すこと、プロムス期間中に集まった寄付の総額を報告すること、そして翌年のプロムス初日の日程の発表をすることも欠かさない。スピーチは1941年に起源がある。 会場のロイヤル・アルバート・ホールは毎回超満員となる。入りきれなかった人々およびロンドン近郊に居住していない人々に対する代償として、プロムス・イン・ザ・パークなる大画面テレビ中継が行われている。初めホールに隣接するハイド・パークのみで行われていたこの中継は、2005年よりベルファスト、グラスゴーおよびスウォンジーの各都市に拡大されている。各会場ともアルバート・ホールからのフィナーレ中継前の時間には独自のライブ・コンサートの催しがもたれている。これらの会場に集まる人々の総数は数万人に達する。 2004年までBBC交響楽団首席指揮者の座にあったレナード・スラットキンは、非植民地人及び非イギリス人(アメリカ人)として初めてプロムス最終夜のタクトを振ることになったが、「(イギリスに対する)ナショナリズムの横溢したこの最終夜の雰囲気を少しばかりでも緩和したい」との意向を表明していた。その意図のもと、2002年からは「ルール・ブリタニア」は「イギリスの海の歌による幻想曲」の一部として演奏されるようになった(1番のみが歌われる)が、スラットキンがBBC交響楽団を去った後はこの形式は必ずしも踏襲されていない。 なお、プロムス最終夜の指揮台に立ったスラットキン以外の非イギリス人は2020年現在、イルジー・ビエロフラーヴェク、デイヴィッド・ロバートソン、マリン・オールソップ、サカリ・オラモ、ダリア・スタセフスカ(英語版)である。2013年に初めて指揮をしたマリン・オールソップは同時にプロムス最終夜を指揮した初めての女性指揮者になった。 なおスラットキンの最終夜への初登場は2001年であり、これはイギリス人の犠牲者も多かったアメリカ同時多発テロ事件の僅か数日後に行われた。この年の最終夜は例年よりは内省的でおとなしい雰囲気の中で行われた(上述の一連の愛国的な3曲のうち「ジェルサレム」しか歌われなかった)。演奏プログラムにも若干の変更が加えられ、サミュエル・バーバーの「弦楽のためのアダージョ」も急遽挿入された。 2020年は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大の影響を受けて放送用の無観客公演のみが行われた。
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