最初の動力機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 02:32 UTC 版)
「ジェームズ・ワット」の記事における「最初の動力機関」の解説
1776年、ついに最初の業務用に実働する動力機関が組み上がった。これらは鉱山の立抗底部に取りつけたポンプロッドに上下運動を伝えるだけのものだった。それでも、おもにコーンウォールの鉱山から揚水用に受注が舞い込み、ワットは機械の組み立てに忙殺された。 これら初期の動力機関はボールトン・アンド・ワット商会で製作されたものではなく、ワットの設計に基づいて他の製造業者が製造し、ワットは技術顧問の役割を担った。機関の調整やならし運転はまずワット自身が行い、その後製造業者に引き継がれるようになっていた。これらは大型なもので、たとえば一番目に製造された機関は直径50インチ(127センチ)のシリンダーを備え、高さ24フィート(7.32メートル)もあり、専用の建屋が設けられるほどだった。この蒸気機関を使うことでニューコメン機関よりも節約できた石炭の3分の1に相当する金額を、年額特許料としてボールトン・アンド・ワット商会が受け取った。 ワットの蒸気機関の用途が広がったのは、ボールトンがワットに対して研磨や紡績、製粉などにも使えるよう、ピストンの往復運動を回転運動に変換する機構を開発するように要請してからであった。クランク機構を使えばこの運動方向変換問題はすぐに解決するように見えたが、これはジェームズ・ピッカード(英語版)がすでに特許を取得しており(ピッカードが技術を盗んだという説もある)、ピッカードは分離凝縮器特許とクランク機構特許とのクロスライセンスを提案した。ワットはこれに強硬に反対し、1781年に惑星歯車機構の特許を得て、特許問題を回避した。 その後6年間以上、ワットは蒸気機関に数多くの改良や変更を施した。ピストンの両面に蒸気を交互に作用させる複動機関(A double acting engine)はその一例で、蒸気を「拡張的に」(大気圧を超える圧力の蒸気を用いるなど)扱う方法だと説明した。他に、2台以上の蒸気機関を連結した複合機関(A compound engine)も開発し、これらは1781年と1782年に特許を取得した。製造や組み立ての簡略化を目指した改良も継続的に行われた。これらの中には、シリンダー内の蒸気容積-圧力の推移を図示する蒸気指圧計(企業秘密扱い)も含まれていた。ほかにも、ワット自身が誇った重要な発明に、1784年に特許を取得した「平行運動機構」がある。これは上下にゆれるビームの円弧運動を、シリンダー棒およびポンプ棒に必要な直線運動に変換する機構であり、複動機関には必要不可欠な技術であった。1788年には出力調整用絞り弁と遠心調速機(英語版)の特許が成立した。回転のむらを低減するフライホイールもワットの重要な発明である。このような改善が織り込まれた蒸気機関は、ニューコメン型と比べて最大5倍の燃料効率を誇った。 この当時、ボイラーの改良は初歩的な段階にあり、爆発の危険性や漏れの問題が伴っていた。ワットは高圧での使用を禁止し、当時の蒸気機関はほぼ大気圧前後の圧力で運転された。 1794年、ワットとボールトンは蒸気機関製造会社ボールトン・アンド・ワット社を設立し、これは大企業へ成長した。1824年までに製造した蒸気機関の通算台数は1,164台に至り、馬力は26,000に達した。ボールトンは商才を発揮し、2人は一財産を築いた。
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