最初の出現(1634–1673)
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「テアトル・デュ・マレ」の記事における「最初の出現(1634–1673)」の解説
テアトル・デュ・マレは1634年に設立された。それまでパリには、オテル・ド・ブルゴーニュ座にあったコメディアン・デュ・ロワ(「王のコメディアン」)という劇団だけしかなかった。俳優のシャルル・ルノワール(フランス語版)とモンドリー(フランス語版)は、自分たちの劇団を作ることを決意し、ル・マレ地区に拠点を置くと、カプサン寺院の向かいのヴィエイユ=デュ=タンプル通り(フランス語版)にある使われていないテニスコートの「ジュ・ド・ポーム・デ・マレッツ(英語版)」を劇場に改造した。 新劇場のレパートリー(英語版)は、ジョドレの笑劇やピエール・コルネイユの作品が中心で、コルネイユは1637年にこの劇場で『ル・シッド』を発表している。また、1640年には俳優のフロリドール(英語版)が入団し、瞬く間に大スターとなった。 1643年、劇場は火事で甚大な被害を受け、1644年10月に修復が完了するまで閉鎖されていた。再開後は、新しい劇場としての技術革新と、プロセニアムアーチを追加した最初の劇場であったことから、難破船や大災害を表現するための機械を使った壮大なセットを着々と展開していった。1669年、マリー・シャンメレ(英語版)とその夫(フランス語版)が一座に加わった。「王のコメディアン」との競争は1673年まで続いたが、マレー座が解散してモリエールの一座と合流し、ゲネゴー劇場(英語版)でトループ・デュ・ロイ(フランス語版)(王の一座)が結成され、最終的にはコメディー・フランセーズの一部となった。
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