最初の再編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:43 UTC 版)
「ドイツ空軍 (ドイツ連邦軍)」の記事における「最初の再編成」の解説
1963年に連邦空軍最初の再編成が実施された。北部と南部から成る空軍グループ司令部の2つが設立され、これの隷下に空軍師団や支援部門が置かれた。特にシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州についてはワルシャワ条約機構軍による侵攻でユトランド半島と切断される脅威から、第7空軍師団が編成された。この第7空軍師団については隷下部隊の配備状況から、空軍グループ司令部と並列する実質的に連邦空軍内の独立した空軍と化していた。 1956年以来、西ドイツ空軍の多数の人員は米国留学で教育訓練を受けていたが、既に民間航空路が発達しつつある西ドイツ領空の空域制限や対地攻撃用の演習場の不足などから、ますます北米大陸での教育訓練の度合を強めていった。1966年8月にアメリカ合衆国テキサス州エルパソのフォート・ブリスに在米在加ドイツ空軍訓練コマンドが設立される。その後在米在加ドイツ空軍コマンド(DtLwKdo USA/CAN)に改称され、地対空ミサイル部隊の要員に対する教育訓練を実施する半恒久的施設として空軍ミサイル学校の新設やパイロットの教育訓練を実施する。既に1960年にイタリア共和国サルジニア島のデチモマンヌ航空基地に在伊ドイツ空軍訓練区域司令部、のちの在伊空軍戦術訓練コマンドが設立され、1964年10月にはポルトガル南部のベージャ航空基地に教育訓練部隊を設置する。デチモマンヌ基地については1979年からNATO加盟国空軍の異機種間航空戦闘訓練に供され発展したが、ベージャ航空基地は1993年に退去する。
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