最初の共作
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「ウィリアム・S・ギルバート」の記事における「最初の共作」の解説
1871年、ジョン・ホリングスヘッドがギルバートにサリヴァンと協業し、ゲイエティ劇場でクリスマスのための休暇作品『Thespis, or The Gods Grown Old』を制作するよう発注してきた。この作品は1871年の休暇シーズンに掛けられた他の9作品の興行成績を凌ぎ、ゲイエティ劇場での通常の興行期間を超えて延長された。しかし、その時点では他に何も得られるものが無かったので、ギルバートとサリヴァンは別々の道を進んだ。ギルバートは1872年にクレイと『Happy Arcadia』を、1873年にアルフレッド・セリアと『Topsyturveydom』を制作し、また幾つかの笑劇、オペレッタのリブレット、狂想劇、妖精コメディ、小説からの翻案物、フランスからの翻訳物、さらに上述の劇を書いていた。1874年にはまた、3年間の空白期間を置いて雑誌「ファン」への最後の寄稿(『ローゼンクランツとギルデンスターン』)を行い、その後は新しいオーナーが他の出版物を認めなかったために、寄稿を止めた。 『Thespis, or The Gods Grown Old』が制作されてからギルバートとサリヴァンが再度協業を始めるまでに4年近くが経過した。1868年にギルバートは「ファン」誌に『陪審員裁判: オペレッタ』と題する短い喜劇調リブレットを掲載していた。1873年、劇場支配人で作曲家でもあるカール・ローザと調整して、この作品を一幕物リブレットに拡張した。ローザの妻が原告の役で歌を歌うことになっていた。しかしローザの妻は1874年にお産で死んだ。その年後半、ギルバートはこのリブレットをリチャード・ドイリー・カートに提案したが、このときカートはこの作品を使えなかった。1875年初期までカートはロイヤリティ劇場を管理しており、ジャック・オッフェンバックの『ラ・ペリコール』の後の寸劇として演じられる短いオペラを必要としていた。カートがギルバートに接触してその作品について尋ね、サリヴァンに仕事を提案した。サリヴァンは熱狂し、1週間かそこらで『陪審員裁判』の作曲を仕上げた。この小品は手に負えないくらいのヒットとなり、『ラ・ペリコール』の興行期間を凌ぎ、他の劇場でも再演された。 ギルバートはその職業に敬意を集め、社会的地位を求める活動を続けた。劇作家が社会的地位を得にくい要因の1つは、「紳士の書斎」に適した形で戯曲が出版されないことであり、家庭の読書ではなく俳優達が利用するために、概して安っぽく魅力の無い形で出版されていた。ギルバートはこの状態を少なくとも自分で改善するために、1875年遅くに出版者のチャットとウィンダスと調整し、魅力的な装丁やはっきりした活字など、一般読者にアピールするようデザインされた形態で戯曲集を出版した。これにはギルバートの最も真面目な作品を含め、評価の高い戯曲の大半を収めたが、いたずらっぽく『陪審員裁判』というタイトルにしていた。 『陪審員裁判』の成功後に『Thespis』を復活させる検討も行われたが、ギルバートとサリヴァンはカートとその出資者の出す条件に合意できなかった。『Thespis』の総譜が出版されることは無く、この音楽の大半は現在残っていない。ギルバートとサリヴァンによる新しいオペラのためにカートが資金を集めるのに時間を要し、その間にギルバートは1875年の『トム・コブ』、同じく1875年の『Eyes and No Eyes』(ジャーマン・リードのために制作した最後の作品)、1876年の『プリンセス・トト』などを制作した。『プリンセス・トト』はクレイと協業した最後かつ大望ある作品であり、フルオーケストラ付き3幕物コミック・オペラだった。それ以前に上演した短い作品が興行成績も悪かったのとは対照的だった。この期間にギルバートは1875年の『失恋』や1876年の『Dan'l Druce, Blacksmith』という真面目な作品を2つ書いていた。 さらにこの期間には1877年の『Engaged』という最も成功した喜劇を書いており、これがオスカー・ワイルドの『真面目が肝心』にヒントを与えた。『Engaged』はギルバートのバブ・バラーズとサヴォイ・オペラの多くから「めちゃくちゃ」風刺スタイルで書かれたロマンス劇のパロディであり、登場人物の1人が、劇中のあらゆる独り者女性に出来る限りの詩的でロマンティックな言葉で愛を誓うものである。その「無垢な」スコットランドの田舎者は、列車を路線から逸らせて乗客にサービス料を請求することで生活していることが明かされ、総体的にはロマンスが金稼ぎのために喜んで投げ与えられることになる。『Engaged』は今日でもプロやアマの劇団によって演じ続けられている。
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