映画化の背景とは? わかりやすく解説

映画化の背景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 04:50 UTC 版)

祇園祭 (1968年の映画)」の記事における「映画化の背景」の解説

1950年マルクス主義に基づく「新し歴史学」を市民啓蒙する活動一環として立命館大学教授だった林屋辰三郎中心に紙芝居祇園祭』が作成された。ストーリーは、応仁の乱後京都町衆たちが室町幕府権力抗して自治体制を築き、その象徴としての「祇園祭」を復興するというものであり、林屋の「町衆論」をドラマ化したものであった民主主義科学者協会京都支部歴史部会参加していた学生らによって、1952年大型紙芝居完成し国民的歴史学運動として紙芝居興行各地打たれた。民衆抵抗ぶりを紙芝居仕立て、それを農民労働者見せて啓蒙するのが当時大学生による歴史学研究会小さな流行だった。その後紙芝居祇園祭』は書籍化され京都だけでなく国内広く知られるようになったまた、1958年頃にこの紙芝居が劇になって舞台化され、京都円山公園上演されたこともあり、その脚本初めに大島渚書き、さらに加藤泰書き直したという。 この紙芝居当時から関心持っていた映画監督伊藤大輔は、1961年に、林屋友人でもあり日本共産党京都市議会議員作家でもあった西口克己小説祇園祭』を執筆出版すると、これを読んですぐに映画化企画した。錦之助の主演作ということで、いったんは東映企画通り脚本準備までしたものの、結局予算下り中止された。 1967年5月芸能ライター竹中労が『祇園祭』の映画化を再企画し西口克己通じて京都府持ちこみ、7月革新系蜷川虎三知事のもと京都府府政百年記念事業一つとして全面的に支援することが決まり、製作が具体化した竹中五社協定打破とブロック・ブッキングによる配給体制突き崩し目指す構想立て大阪東京労音勤労者音楽協議会)や東映俳優労働組合とその支援者協力得て映画の製作上映形態抜本的変革試みようとしたが、挫折したまた、竹中は、映画祇園祭』のジェネラル・プロデューサーとして、まず東映京都撮影所長(当時)・岡田茂候補上げ交渉したが、断られ次に元日専務の江守清郎に依頼したが、断られたという。結局企画・製作中心にいた竹中労は、原作者西口克己京都府議会の有力共産党議員たちと対立し1967年10月プロデューサーの座を引きずり降ろされ志半ば退任したその後、製作は半年間中断されたが、竹中労退任前後にも、八尋不二から加藤泰さらに鈴木尚之清水邦夫への脚本家交代当初からの製作者一人であった小川三喜雄(錦之介の兄で東映時代小川貴也)の退任共同監督加藤泰降板などがあり、1968年8月脚本未完成のまま見切り発車クランクインする事態招き監督伊藤大輔愛弟子山内鉄也交代して映画祇園祭』が完成した。 なお、日本中世史研究家である河内将芳は、祇園祭に立ちふさがったのは幕府でなく延暦寺大衆であり、侍と町衆対立としての描いたストーリーに対して疑問呈している。

※この「映画化の背景」の解説は、「祇園祭 (1968年の映画)」の解説の一部です。
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