映画化までとは? わかりやすく解説

映画化まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 08:27 UTC 版)

網走番外地 (東映)」の記事における「映画化まで」の解説

1962年1963年ころ、当時東映専属だった三國連太郎網走刑務所から囚人脱獄企てた計画があったことを知り、この囚人脱走計画事件モデルに、自ら『網走監獄脱走』という企画岡田茂東映東京撮影所長(当時)に提出したのが本作始まり三國当時岡田深作欣二石井輝男らを使って当てていた“ギャング物”“現代アクション路線”の延長上にある娯楽アクション映画”であることを強調し自身はまだ独立プロ興して間がないため、自ら監督はやらず、『天草四郎時貞』(1962年)で組んだ大島渚推薦した岡田賛成し、「大島監督一発ホームラン打たせてやれるようなものにしたい」と企画了承された。企画窓口俊藤浩滋脚本大島石堂淑朗主演三國と俊マネージメントしていたアイ・ジョージ進められていたが、東映上層部は『天草四郎時貞』を興行的に惨敗させた大島への不信感強く、この企画監督させなかったといわれるその後三國主演佐藤純彌監督で『脱獄』と仮題つけられ企画浮上したが、岡田が“東映ギャング物”の延長企画に、暗い三國主演ふさわしくない中止させたといわれる岡田は『天草四郎時貞』の興業的失敗三國にも責任があると考えていたようで、後に『仁義なき戦い』の山守義雄役を"鶴の一声"で三國から金子信雄代えさせた逸話は有名である。主演三國可能性なくなった以上、もともと企画三國であったから、そのままの形では使えず、そこで目をつけたのが伊藤一1950年代前半網走刑務所1年か月服役し出所後、その経験をもとに1956年網走番外地」という名で出版した実録物小説であった本作は、1959年日活で、原作をほぼ忠実に映画化した同名の映画網走番外地』が封切られていたが、東映版は、三國持ちこんだ企画にあてはまるプロット自在にふくらませただけで、伊藤一小説からは題名拝借しただけであった当初企画ギャング物の延長である以上、東映東京ギャング物というドル箱打ちたてた石井輝男白羽の矢立った石井は、かねてより温めていたスタンリー・クレイマー監督の米映画手錠のまゝの脱獄』(1958年)を巧みに換骨奪胎し脚本書き主演には石井とのコンビ作を連打していた高倉健起用して映画化された。思わぬヒットシリーズ化決定するが、クレジットには三國の名はない。自らが興した独立プロ自身監督した台風』の配給東映拒否され、それでも契約関係にあった東映作品出演していた三國は、主力映画任侠映画路線へと傾斜していく東映には自分出番はないと思い、その翌年には東映との契約関係解消し、完全にフリーとなった

※この「映画化まで」の解説は、「網走番外地 (東映)」の解説の一部です。
「映画化まで」を含む「網走番外地 (東映)」の記事については、「網走番外地 (東映)」の概要を参照ください。

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