準備まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:10 UTC 版)
国鉄に、実物の新幹線0系電車の撮影協力を交渉したところ、安全を謳い文句にしていた国鉄は、刺激的な映画のタイトルに難色を示し、「『新幹線大爆破』という映画のタイトルでは新幹線のイメージが悪くなるので、『新幹線危機一髪』というタイトルへ変えるなら撮影に協力しても良い」とタイトル変更を打診するが、岡田茂は「題名は絶対に変えんぞ!」と断固拒否。当時国鉄は、森繁久彌が「安全です国鉄は」と訴えかけるCMを放送していた。1974年12月、国鉄が「現在、新幹線に爆弾を仕掛けたという電話は週に1本の割合でかかって来て、その度にいたずら電話かも知れないが、必ず最寄の駅に停車させて検査するような状態である。このような映画は、更に類似の犯罪を惹起する恐れがあるから製作を中止されたい」と、本作の企画に断固反対の姿勢を打ち出した。1975年2月初めに国鉄から80%協力は得られないという線が出て、児童教育映画を作るからと称して申し入れたがこれも拒否され、同年4月にいっさいの撮影協力を断られた。1975年3月~4月の間、表立った製作はストップしたが、この間に国鉄の協力なしで撮影が可能か検討された。
※この「準備まで」の解説は、「新幹線大爆破」の解説の一部です。
「準備まで」を含む「新幹線大爆破」の記事については、「新幹線大爆破」の概要を参照ください。
- 準備までのページへのリンク