日本軍玉砕大本営発表・アメリカ国内での反響
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「硫黄島の戦い」の記事における「日本軍玉砕大本営発表・アメリカ国内での反響」の解説
3月初めには飛行場の機能は殆ど完成しており、3月4日、東京空襲で損傷したアメリカ軍のB-29爆撃機「ダイナ・マイト」号が、両軍砲火の中で緊急着陸に成功し、補修と燃料の補給を受けた。これが、硫黄島に不時着した最初のB-29である。3月6日には、機能を回復した硫黄島の飛行場に最初のP-51戦闘機部隊が進出した。3月15日(日本時間)、アメリカ軍は硫黄島の完全占領を発表した。また3月21日、日本の大本営は硫黄島守備隊の玉砕を発表した。「戦局ツヒニ最後ノ関頭ニ直面シ、17日夜半ヲ期シ最高指導官ヲ陣頭ニ皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ全員壮烈ナル総攻撃ヲ敢行ストノ打電アリ。通爾後通信絶ユ。コノ硫黄島守備隊ノ玉砕ヲ、一億国民ハ模範トスヘシ。」 硫黄島でのアメリカ軍の甚大な損失に対し、アメリカ本国ではこれまでには見られなかった反響が見られた。硫黄島の戦いよりは遙かに大規模であったノルマンディー上陸作戦や、アメリカ軍が多大な損害を被ったバルジの戦いなどではアメリカ軍の活躍がでかでかと報道されてアメリカ国民は有頂天となったが、硫黄島の戦いについてはその苦戦ぶりがアメリカ国民に衝撃を与えている。雑誌タイムは記事で「硫黄島の名前はアメリカ史上、アメリカ独立戦争でのバレーフォージ、南北戦争でのゲティスバーグ、今次大戦でのタラワ島と並んで銘記されるであろう」と報じている。 このアメリカ国内での反響を、マッカーサーのシンパなどアメリカ陸軍のロビイストが必要以上に煽り、アメリカ陸軍の評価向上に利用している。マッカーサーがフィリピンで失った兵員数は、フィリピンの戦い (1941-1942年)で146,000人(戦死25,000人、戦傷21,000人、捕虜100,000人)、フィリピンの戦い (1944-1945年)でも、アメリカ兵死傷者78,824人、フィリピン正規軍(ユサッフェ)の戦死者は57,000人(戦傷者不明) と硫黄島での損害を遥かに上回っていたのにも関わらず、あたかもマッカーサーが有能な様に喧伝されて、ニミッツの指揮能力に対しての批判が激化していた。 サンフランシスコ・エグザミナー紙は「マッカーサー将軍の作戦では、このような事はなかった」などと事実と反する記事を載せ、その記事で「マッカーサー将軍は、アメリカ最高の戦略家で最も成功した戦略家である」「太平洋戦争でマッカーサー将軍のような戦略家を持ったことは、アメリカにとって幸運であった」「しかしなぜ、マッカーサー将軍をもっと重用しないのか。そして、なぜアメリカ軍は尊い命を必要以上に失うことなく、多くの戦いに勝つことができる軍事的天才を、最高度に利用しないのか」と褒めちぎった。なお、マッカーサー自身は硫黄島と沖縄の戦略的な重要性を全く理解しておらず「これらの島は敵を敗北させるために必要ない」「これらの島はどれも、島自体には我々の主要な前進基地になれるような利点はない」と述べている。 この記事に対して多くの海兵隊員は激怒し、休暇でアメリカ国内にいた海兵隊員100人余りがサンフランシスコ・エグザミナー紙の編集部に乱入して、編集長に記事の撤回と謝罪文の掲載を要求した。編集長は社主ウィリアム・ランドルフ・ハーストの命令によって仕方なくこのような記事を載せたと白状し、海兵隊員はハーストへ謝罪を要求しようとしたが、そこに通報で警察と海兵隊の警邏隊が駆けつけて、一同は解散させられた。しかし、この乱入によって海兵隊員たちが何らかの罪に問われることはなかった。その後、サンフランシスコ・クロニクル紙がマッカーサーとニミッツの作戦を比較する論調に対する批判の記事を掲載し、「アメリカ海兵隊、あるいは世界各地の戦場で戦っているどの軍でも、アメリカ本国で批判の的にたたされようとしているとき、本紙はだまっていられない」という立場を表明して、アメリカ海軍や海兵隊を擁護した。ちなみにサンフランシスコ・クロニクル紙の社主タッカーの一人息子であった二ヨン・R・タッカーは海兵中尉として硫黄島の戦いで戦死している。 連合国遠征軍最高司令官として史上最大の作戦とも呼ばれたノルマンディ上陸作戦を指揮したドワイト・D・アイゼンハワーは、1952年に次期大統領として硫黄島を訪れたが、不毛で狭小な硫黄島と「広く開放的な空間」であったノルマンディ海岸とを比較し、この小さな島に60,000人もの海兵が上陸して戦闘したことに驚愕して「こんな制約された地形で、そんな規模の戦いを思い描くことはできない」との感想を抱き、かつての上官であったマッカーサーが硫黄島での作戦を批判していたことにも触れて「彼には(このような戦闘を)なかなか理解できなかったのだろう」と述べている。 硫黄島の戦いで27人のアメリカ軍兵士(海兵隊22人、海軍5人)がメダル・オブ・オナーを受勲(英語版)したが、これは第二次世界大戦でアメリカ軍兵士が受勲したメダル・オブ・オナー(英語版)472人の5.7%を占め、アメリカ海兵隊に限れば22人の受勲者は合計82人のうちの25%以上を占めるといった、激戦を物語る多くの受勲者を出すこととなった。アメリカ軍の戦闘消耗率は全部隊の30%、特に各海兵師団の損害は大きく、第3海兵師団60%、第4海兵師団75%、第5海兵師団75%にも達している。
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