日本人の引き揚げと復員
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:44 UTC 版)
「太平洋戦争」の記事における「日本人の引き揚げと復員」の解説
詳細は「引き揚げ」および「引揚者」を参照 連合国に降伏を予告した1945年8月14日当時、中国大陸や東南アジア、太平洋の島々など、当時日本が統治または支配していた「外地」には軍人・軍属・民間人を合わせ660万の日本人(当時の日本の総人口の約9%)が取り残されていた。日本政府は外地の邦人受け入れのために準備をしたが、船舶や食糧、衣料品などが不足し用意することが困難だったため、連合軍(特にアメリカ軍)の援助を受けて進められた。しかし不十分な食糧事情による病気や、日本の支配から脱した現地住民による報復、当事国の方針によって引き揚げが難航した地域も多く、中国東北部(旧満州)では、やむを得ず幼児を中国人に託した親達も多かった(中国残留日本人)。ソ連の継承国であるロシア連邦のロシア国立軍事公文書館の資料によると、ソ連は満州や樺太などから日本軍将兵や民間人約76万人をソ連各地に強制連行し、約2000ヶ所の収容所などで強制労働を課した(シベリア抑留)。 軍役者の復員業務と軍隊解体後の残務処理を所管させるため、1945年11月に陸軍省・海軍省を改組した第一復員省、第二復員省が設置された。民間人の引き揚げ業務については、厚生省が所管した。 政府は1945年9月28日にまず、舞鶴、横浜、浦賀、呉、仙崎、下関、門司、博多、佐世保、鹿児島を引き揚げ港として指定した。10月7日に朝鮮半島釜山からの引き揚げ第1船「雲仙丸」(陸軍の復員軍人)が舞鶴に入港したのをはじめに、その後は函館、名古屋、唐津、大竹、田辺などでも、引き揚げ者の受け入れが行われた。1946年からはNHKラジオで『尋ね人の時間』が放送された(1962年まで) 引き揚げと復員者数(【注意】以下の数値は上陸地の港において引き揚げ手続きを行った人のみを計上したもの)国籍軍人民間人旧ソ連領(シベリアなど) 45万3787 1万9165 満州 4万1916 100万3609 北朝鮮(ソ連占領地) 2万5391 29万7194 韓国(アメリカ占領地) 18万1209 41万6110 琉球諸島(沖縄など) 5万7364 1万2052 本土近隣諸島(硫黄島など) 6万7000 2382 中国(香港を含む) 106万9662 71万7009 台湾 15万7388 32万2156 フランス領インドシナ 2万8710 3593 東南アジア 65万5330 5万6177 オランダ領東インド 1万4129 1464 オーストラリア 13万398 8445 ニュージーランド 391 406 太平洋諸島 10万3462 2万7506 ハワイ諸島 3349 310
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