日本の皇太后
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 16:14 UTC 版)
日本においては、太皇太后、皇后とならび三后(三宮)のひとつで、太后(たいこう)とも略される。長楽宮(ちょうらくきゅう)を別称とする。 日本では以下のものが皇太后と称された。 天皇の母で皇后であった者 天皇の生母(皇后を経ていない) 中宮から皇太后(他の皇后立后のため) 天皇の生母への追贈(死別) 先代の嫡妻(先代の生死に関わらず) 先代の皇后(同上) 神話上は初代天皇である神武天皇の皇后であった媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)が、息子綏靖天皇の即位と同日に皇太后となったのが初とされ、律令では天皇の母で皇后であった者に与えられるとされた。しかし、文武天皇生母の藤原宮子を太皇太后、光仁天皇生母の紀橡姫を贈皇太后とするなど、皇后を経ていない国母が皇太后・太皇太后と宣下されるようにもなり、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が、嵯峨が弟淳和天皇に譲位するのと同時に皇太后となったり(太上天皇の配偶者。天皇の母ではない)、後冷泉天皇の中宮章子内親王が藤原歓子の皇后立后により皇太后となる等、実態は複雑化した。皇太后には世話をする部署として皇太后宮職が置かれた。 また天皇が即位前に生母が死別していた場合、即位の際に皇太后を追贈する事もあった。例として白河天皇の母藤原茂子は、父後三条天皇の皇太子時代は御息所に留まって早世するが、白河天皇は即位すると亡き母に皇太后を追贈した。そして白河天皇の寵妃の中宮藤原賢子も息子の即位前に早世するが、子の堀河天皇が即位した際に皇太后を追贈された。 江戸時代初期以降は先代の嫡妻をもって皇太后とするのが慣例になり、また中期以降、太皇太后の尊称であった「大宮」を別称とするようになり、皇太后の御所を大宮御所と称した。 明治維新以後は、皇太后は先帝の皇后または天皇の母の称号となり、皇室典範(昭和22年1月16日法律第3号)により皇族(内廷皇族)に含まれ(第5条)、敬称は「陛下」と定められた(第23条)。また、大宝律令以来三后の班位(身位)は太皇太后、皇太后、皇后の順と定められていたが、1910年(明治43年)制定の皇族身位令(明治43年3月3日皇室令第2号)第1条により、皇后、太皇太后、皇太后の順と定められ、皇后を上位と改めた。 近代以前に皇太后が追号として用いられたことはなかったが、明治以降は孝明天皇の女御(准三宮)で明治天皇の嫡母(形式上の母。生母ではない。)の英照皇太后、明治天皇皇后であった昭憲皇太后に贈られている。英照皇太后は、明治天皇即位に伴い、皇后を経ずして皇太后に冊立された。昭憲皇太后については、本来皇后が追号であるべきとして、明治天皇と昭憲皇太后を祀る明治神宮が1920年(大正9年)に宮内省に、1963年(昭和38年)・1967年(昭和42年)には宮内庁に追号を「昭憲皇后」に変更するよう申し入れたが、認められなかった(昭憲皇太后#追号についても参照)。次代の大正天皇の后貞明皇后以降は、「皇太后」として崩御しても生前の最高位である「皇后」の位で追号されている。 なお、2017年(平成29年)6月16日に公布され、2019年(平成31年)4月30日に施行された、天皇の退位等に関する皇室典範特例法では、第3条で「前条の規定により退位した天皇は、上皇とする。」、4条で「上皇の后は、上皇后とする。」とそれぞれ規定しており、歴史上、太上天皇の配偶者にも用いられてきた「皇太后」称号を使用せず、歴史上、一度も存在しなかった「上皇后(じょうこうごう)」という称号を定めており、議論を呼んでいる。
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