息子の即位
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1595年、ムラト3世の死去に伴い、サフィエの息子のメフメト皇子が、メフメト3世として即位した。サフィエはついに母后となった。その後、即位した皇帝の兄弟達は全て抹殺するという「帝国の掟」により、前皇帝の息子達でメフメト3世の、19人の異母兄弟達は死刑執行人により、紐で絞殺された。また、これも帝国の掟により、ムラト3世の40人の愛妾達の内、妊娠していた7人は、生きたまま袋に詰められ、真夜中のボスフォラス海峡に沈められた。 しかし、このメフメト3世の時代以降、この掟は廃止されることになった。これ以降、スルタンの兄弟達は、「黄金の鳥籠」と呼ばれる幽閉所に幽閉されることになった。これは、それまでの掟が残酷だからというよりも、王朝の血統を絶やしてしまわないための方策だった。サフィエの息子のメフメトもまた、政治に関心が薄かったため、またしてもサフィエが政治に容喙し、権力を振るった。
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