息子のベネディクトとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/19 02:08 UTC 版)
「チャールズ・カルバート (第3代ボルティモア男爵)」の記事における「息子のベネディクトとの関係」の解説
チャールズ・カルバートはローマ・カトリック教徒のままであり、政治的な不利は甘受していた。承継者である第4代ボルティモア男爵ベネディクト・カルバートはその忠誠を維持しなかった。メリーランド植民地に対して持つ一家の領主権を回復させるには宗教の問題が大きな要因になると、正しく計算していた。従ってローマ・カトリック教会を捨て、聖公会に改宗して、「プロテスタント的な信仰を保持し」このことで新世界で失っていた一家の権益を取り戻すことに賭けた。しかしこの大胆な行動は高いものについた。先代男爵は息子の改宗を怒り、年金450ポンドを取り下げ、孫の教育と保守に関する支援を止めた。しかし、チャールズ・カルバートが1715年に死亡し、その肩書と、メリーランド植民地の所有権とを息子のベネディクトに残した。チャールズはロンドンのセントパンクラス・オールド教会の墓地に埋葬された。
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