日本における知的財産権の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 18:39 UTC 版)
「知的財産権」の記事における「日本における知的財産権の歴史」の解説
1866年、文久の遣欧使節から帰国した福沢諭吉が『西洋事情』を著し、その中で西洋には「発明の免許(パテント)」「蔵版の免許(コピライト)」の制度があることを紹介した。日本に初めて特許権・著作権の考え方を紹介するものであったとされる。 1869年、明治政府が「出版条例」を制定した。出版社の出版権を保護する初の著作権法制であったが、出版物の取り締まり規制も同居した法律であった。 1871年、明治政府が「専売略規則」を制定した。初の特許法制である。 初代専売特許所所長(現在の特許庁長官に相当)であった高橋是清の尽力により、1884年には「商標条例」が、1885年には専売略規則に代わる「専売条例」が制定される。 1887年、明治政府が「版権条例」が制定され、著作権法制が初めて独立した法律により定められることとなった。 1894年までになされた不平等条約の改正において、工業所有権の保護に関するパリ条約やベルヌ条約への加盟が条件とされた。 1995年10月、国会は当時村山改造内閣(村山富市首相、自社さ連立政権)の連立与党の共同提案に基づいて、科学技術基本法案を採択。日本が「キャッチアップの時代は終焉を迎え、フロントランナーの一員として、自ら未開の科学技術分野に挑戦し、創造性を最大限に発揮し、未来を切り開いて行かなければならない時機に差し掛かっている」として、「真に豊かな生活の実現のためには、科学技術創造立国を目指す」ことが必要であるとした。 1996年12月に「21世紀の知的財産権を考える懇談会」(座長:有馬朗人)が、特許庁で開催された。これは、米国の国家戦略としてのプロパテント政策の推進等、近年の急激な環境変化に対して、21世紀に向けた日本の知的財産権のあり方を明らかにする目的で開かれたもの。1997年4月に、『21世紀の知的財産権の目指す方向』が発表された。 2001年10月から、経済産業省において「産業競争力と知的財産を考える研究会」が開催され、2002年6月に報告書がまとめられた。 これらを受けて、2002年3月に当時の第1次小泉内閣(自公保連立政権)は、小泉純一郎総理主催の「知的財産戦略会議」を設置。同年7月に『知的財産戦略大綱』を発表し、政府として知的財産立国を目指し、知的財産政策を推進することが明確化された。同年12月に第1次小泉第1次改造内閣(自公保/保新連立政権)下で「知的財産基本法」が成立した。この知的財産基本法の施行に伴い、知的財産戦略本部、およびその事務局である知的財産戦略推進事務局が設置された。 1995年10月 - 連立与党の共同提案、科学技術基本法案採択 1996年12月 - 「21世紀の知的財産権を考える懇談会(特許庁)」(座長:有馬朗人) 1999年10月 - 産業活力再生特別措置法が成立(日本版バイドール法) 2000年 5月 - 知的財産制度に関する議員連盟等合同会議・中間報告書発表 2001年12月 - 知的財産権の保護強化で自民党が国家戦略ビジョン 2002年 2月 - 第154回国会・小泉内閣総理大臣施政方針演説「必要な知的財産政策を推進」 2002年 2月 - 首相直属「知的財産戦略会議」設立 2002年 5月 - 「産業競争力と知的財産を考える研究会」最終報告書(経済産業省) 2002年 7月 - 「知的財産戦略大綱」を正式決定・知的財産基本法準備室設置 2002年10月 - 知的財産基本法案・閣議決定・経済産業委員会で審議決定(政府与党) 2002年11月 - 知的財産基本法成立 2003年 3月 - 知的財産基本法施行・知的財産戦略本部発足 2003年 4月 - 関税定率法改正・知的財産権侵害品の取締強化 2004年 6月 - 知的財産高等裁判所設置法、裁判所法等の一部を改正する法律成立 2005年 4月 - 知的財産高等裁判所設立
※この「日本における知的財産権の歴史」の解説は、「知的財産権」の解説の一部です。
「日本における知的財産権の歴史」を含む「知的財産権」の記事については、「知的財産権」の概要を参照ください。
- 日本における知的財産権の歴史のページへのリンク