日本における研究状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 22:48 UTC 版)
「エドマンド・バーク」の記事における「日本における研究状況」の解説
日本に初めてバークを紹介したのは金子堅太郎である。1881年、金子はバークの『フランス革命の省察』と『新ウィッグから旧ウィッグへ』を抄訳し『政治論略』として元老院から刊行した。自由党のルソー主義への批判が目的であった。 ルソーを信奉する植木枝盛は、これに対して1882年、論文「勃爾咢(ボルク)ヲ殺ス」により反論した。 バークに関する研究が始まるのは第二次世界大戦後のことで、まずは小松春雄による研究、これに岸本広司が続き、日本においてもある程度の研究基盤ができた。 一方、フランス革命を熱烈に支持し、トマス・ペインの信奉者である坂本義和は、反バークの立場から、バークの持論をまとめている。 なお、新渡戸稲造はその主著『武士道』の冒頭に、「ヨーロッパにおいてこれ〔武士道※〕と姉妹たる騎士道が死して顧みられざりし時、ひとりバークはその棺の上にかの周知の感動すべき讃辞を発した。いま彼れバークの国語〔英語※〕をもってこの問題についての考察を述べることは、私の愉快とするところである」と書き記している(※―引用者による加筆)。
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