日本における磁器生産の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 06:24 UTC 版)
「連房式登窯」の記事における「日本における磁器生産の開始」の解説
16世紀末の文禄・慶長の役の際、鍋島氏によって朝鮮半島から日本へ連行された陶工たちによって朝鮮王朝時代の磁器の技術と築窯技術が持ち込まれた。 文禄3年(1594年)に波多氏が改易された際、岸岳地区の窯は廃窯されるようになった。日本で最初に磁器の製造を行ったのは肥前有田の伊万里焼で、1610年代と考えられる。金ヶ江三兵衛文書に「丙辰の年より有田皿山に移った」という記述があることから、元和2年1616年から磁器焼成が開始されたとするのが従来の通説であった。金ヶ江家の先祖は鍋島氏によって連行された朝鮮人陶工の李参平であり、李参平が有田の泉山陶石場を発見し、有田東部の白川天狗谷に窯を築き国内初の磁器焼成に成功したとする。もうひとつの説は、家永壱岐守が金ヶ江三兵衛よりも早く有田に入って天狗谷に窯を築いて慶長年間に磁器焼成を始めたという説である。なお、九州陶磁文化館の大橋康二らの調査により、有田の最古の磁器窯は有田西部の天神森窯、小溝窯などであり、磁器焼造開始年代は1610年代とされている。鍋島忠茂が寛永3年(1624年)に「せいじの今焼茶碗」を注文しているという記述が古文書にあることから、それよりも以前に磁器生産が始まっていたことは確実であり、窯跡と実年代がわかる消費地の資料を突き合わせると、およそ1610年代に磁器生産が始まったことが確実視されている。磁器は割竹形と通常の階段状連房式登窯の双方で生産された。
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