日本における砲兵刀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/03 06:20 UTC 版)
日本帝国陸軍は明治18/19年(西暦1885/1886年)、通常は個別に武器を持たない砲・工・輜重兵科の下士官・兵用に、短寸の軍刀を制定した。この下士官兵向け軍刀は砲兵工廠で製造され、「甲」・「乙」・「丙」の三種類があり、「砲兵刀」「徒歩刀」と通称された。 陸軍砲兵刀 (甲) 柄及び金具類は真鍮製。鞘は黒革に真鍮金具。全長 68㎝(鞘込み)、刃長 52㎝。 主に砲兵隊で用いられた。 陸軍砲兵刀(乙) 柄は木製。鞘及び金具類は鉄製黒染。全長 69㎝(鞘込み)、刃長 53㎝。 主に工兵隊で用いられ、「工兵刀」と通称された。柄頭(柄の後端)部分は平頭形になっており、金鎚の代用としても用いられた。 陸軍砲兵刀 (丙) 輜重隊他で用いられ、「輜重刀」と通称された。全体の形状・構成は(乙)と同じだが、刀身がやや短く、柄頭の形状が異なる。 いずれも直刀片刃の洋式刀剣で、切っ先のみ両刃となっており、片面に太い彫溝(樋)が入っていることが特徴である。全体的には村田銃用の十三年式銃剣を一回り大型化したような構成で、銃剣と共に「牛蒡(ゴボウ)剣」と呼ばれていた。両端を金具で補強した鞘に収納して「剣差(けん-さし)」と呼ぶ革製のベルト吊り具を用いて携行することも銃剣と同様である。 この他、砲兵将校もしくは砲兵下士官が個人的に特注したと見られる品があり、それらは日本刀として作られた脇差や短刀を砲兵刀として拵え直したもので、官製の外装に私物の刀身を合わせたものとなっている。
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