日本における石工
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 05:45 UTC 版)
日本では、比較的地震が多いという土地柄、建築物の分野では、あまり普及しなかった。しかし土木的分野では古くより使われてきた。城における堀の垣などにはほとんど例外なく石垣が使われてきたし、近世以降には石造のアーチ橋も建造されてきた。現代では、土止めの壁や橋梁類は、コンクリートや鉄などによって作られることが大半であるが、外装として薄い石板などを化粧板として貼り付けることがある。そして、そういった自然石を使った化粧板などを製造するのも、現代の石工の仕事である。 安土桃山時代に築かれた安土城では、延暦寺の石組みを行っていた職人である穴太衆が動員されたという。 肥後の石工は技術がとても高いと言われ、通潤橋や霊台橋などの歴史的な重要文化財があり、全国の石橋の4割を熊本県が占める。他にも、熊本城の武者返しと呼ばれる、美しい扇勾配を持つ石垣などから、当時の技術の高さを垣間見ることができる。 使用する石材は主に花崗岩が多いが、多くは近場で採取できる石材を使うことが多かった(銘石などとして特定の石がもてはやされるようになるのは、一般的には、輸送上の問題が解決された近代になってからである)。また、石を組み上げる技術は、最高レベルでは石と石の間に紙が通らないと言われるほど精巧なものであった。
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