施設の概要・歴史
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「秩父宮ラグビー場」の記事における「施設の概要・歴史」の解説
戦前の関東のラグビーの試合は、明治神宮競技場を専用グラウンドに近い状態で使用していたが、戦後はアメリカ軍が接収して「ナイルキニックスタジアム」と名称変更して占有した結果、日本国民は自由に使うことができなくなり、神宮球場や後楽園球場(現・東京ドーム)でラグビーの試合を行わざるをえない状態となった。 そこで関東ラグビーフットボール協会は、1947年 (昭和22年)頃から新しい専用ラグビー場を建築すべく、候補地捜しを開始した。明治大学ラグビー部出身で関東協会理事であった伊集院浩(当時毎日新聞記者)が見つけてきた土地が、アメリカ軍による東京大空襲(山の手大空襲)によって焼失した女子学習院跡地であり、当時のアメリカ軍の駐車場であった。関東協会の当時の理事長であった香山蕃の戦災火災保険金と各大学OBの浄財等によって建設資金のめどがつき、東京大学の難波経一、岡田秀平、鹿島建設(鹿島)の尽力で1947年(昭和22年)4月に着工され、ラガーマンの汗の勤労奉仕が加わり、同年11月「東京ラグビー場」として完成した。 香山は「その集めた資金は血のにじむような尊い結晶でありました。ある者は時計やカメラ、またある者は家のじゅうたんを売ってひたぶるに自分たちの心のふるさとを築きあげようという情熱に燃えた。工事が始まったある日、雨の降るなか秩父宮様が来られ、ご病身を省みず、ゴム長ぐつを履かれて励まし下され、鹿島の関係者に“ラグビー協会は貧乏だからよろしく頼む”と頭を下げられました。私は流れる涙をこらえることが出来なかった」と後日、毎日新聞の中で綴っている。 杮落としは同年11月22日、明治大学OB対学生選抜と明治大学対東京大学戦の2試合が行われた。また1949年1月に第28回全国高等学校ラグビーフットボール大会が行われた。当ラグビー場が全国高等学校ラグビーフットボール大会の開催会場となったのは第28回大会のみである。 なお、日本ラグビーフットボール協会名誉総裁だった秩父宮雍仁親王薨去の1953年(昭和28年)、親王の遺徳を偲び「秩父宮ラグビー場」に名称が変更された。 当ラグビー場の管理は当初、日本ラグビーフットボール協会が行っていたが、1962年(昭和37年)10月1日より国立競技場(現・日本スポーツ振興センター)に移管している。 日本のラグビーにとっては「西の花園・東の秩父宮」と称され、日本ラグビーの聖地とも言える中心的な競技場である。 最大収容人員は25,194人。2003年(平成15年)シーズンから電光掲示板を一新 し、映像も取り込めるようになった。主要な試合では、場内ミニFM放送を行っている。 1962年(昭和37年)にナイター設備が設置されたが 、1973年(昭和48年)の改修工事の際、オイルショックによる資金難から照明を撤去された。しかし、2007年(平成19年)にナイター設備が再び設置され、8月10日に再建後最初の試合(日本代表対アジア・バーバリアンズ戦)が行われた。 関東におけるラグビーのメッカであり、1971年(昭和46年)に日本代表がイングランド代表と3対6の大接戦を演じた試合、1989年(平成元年)に日本代表がスコットランド代表を28対24で破った試合など、日本ラグビー史に残る数々の名勝負が行われた。現在、日本代表の試合やトップリーグ、ラグビー日本選手権・全国大学ラグビー選手権、関東大学ラグビー(対抗戦Aグループ・リーグ戦1部)、全国高校ラグビー東京都代表決勝など頻繁に使用される。 それゆえ、シーズン終盤である1月から2月には芝の傷みが激しく、プレーに支障が出ることが多い。2016年1月末の日本選手権決勝では、特に中央部分は完全に芝がはげ、グラウンドが砂場化していた。実際に試合中、砂場に足を取られて転倒する選手も多く、明らかにゲームの質を落としていた。2016年2月末のスーパーラグビー2016(英語版)開幕戦の前日練習後には、ウイングの山田章仁選手が芝がぼろぼろになって土に近い部分が残っていたピッチを指摘し、「グラウンドの問題は、大きいと思います」と苦言を呈した。 2009年(平成21年)6月にラグビージュニア世界選手権の会場の1つとして使用され、決勝戦も行われた。2012年(平成24年)6月に東京セブンズの会場として使用された。 国立競技場の大型改修に伴い、2014年度は関東大学ラグビー対抗戦・早明戦、大学選手権準決勝、2015年度から2018年度は同決勝も含めて開催。 2015年からスーパーラグビーに参戦したサンウルブズの日本における事実上のホームスタジアムにもなっている。 ラグビーワールドカップ2019においては試合会場として使用されず、日本代表の練習拠点として使われた。
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