施設の概要・歴史とは? わかりやすく解説

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施設の概要・歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 02:57 UTC 版)

秩父宮ラグビー場」の記事における「施設の概要・歴史」の解説

戦前関東ラグビー試合は、明治神宮競技場専用グラウンドに近い状態で使用していたが、戦後アメリカ軍接収して「ナイルキニックスタジアム」と名称変更して占有した結果日本国民自由に使うことができなくなり神宮球場後楽園球場(現・東京ドーム)でラグビー試合を行わざるをえない態となった。 そこで関東ラグビーフットボール協会は、1947年 (昭和22年)頃から新し専用ラグビー場建築すべく、候補地捜しを開始した明治大学ラグビー部出身関東協会理事であった伊集院浩当時毎日新聞記者)が見つけてきた土地が、アメリカ軍による東京大空襲山の手大空襲)によって焼失した女子学習院跡地であり、当時アメリカ軍駐車場であった関東協会当時理事長であった香山蕃戦災火災保険金と各大学OB浄財等によって建設資金のめどがつき、東京大学難波経一岡田秀平鹿島建設鹿島)の尽力1947年昭和22年4月着工されラガーマンの汗の勤労奉仕加わり同年11月東京ラグビー場」として完成した香山は「その集めた資金は血のにじむような尊い結晶ありました。ある者は時計カメラ、またある者は家のじゅうたん売ってひたぶる自分たちの心のふるさと築きあげようという情熱燃えた工事始まったある日の降るなか秩父宮様が来られ、ご病身省みずゴム長ぐつを履かれて励まし下され鹿島関係者に“ラグビー協会は貧乏だからよろしく頼む”と頭を下げられました。私は流れる涙をこらえることが出来なかった」と後日毎日新聞の中で綴っている。 杮落とし同年11月22日明治大学OB学生選抜明治大学東京大学戦の2試合が行われた。また1949年1月第28回全国高等学校ラグビーフットボール大会が行われた。当ラグビー場全国高等学校ラグビーフットボール大会開催会場となったのは第28回大会のみである。 なお、日本ラグビーフットボール協会名誉総裁だった秩父宮雍仁親王薨去1953年昭和28年)、親王遺徳を偲び「秩父宮ラグビー場」に名称が変更された。 当ラグビー場管理当初日本ラグビーフットボール協会が行っていたが、1962年昭和37年10月1日より国立競技場(現・日本スポーツ振興センター)に移管している。 日本ラグビーにとっては「西の花園・東秩父宮」と称され日本ラグビー聖地とも言える中心的な競技場である。 最大収容人員25,194人。2003年平成15年シーズンから電光掲示板一新 し映像取り込めようになった主要な試合では、場内ミニFM放送行っている。 1962年昭和37年)にナイター設備設置されたが 、1973年昭和48年)の改修工事の際、オイルショックによる資金難から照明撤去された。しかし、2007年平成19年)にナイター設備が再び設置され8月10日再建後最初試合日本代表対アジア・バーバリアンズ戦)が行われた。 関東におけるラグビーメッカであり、1971年昭和46年)に日本代表イングランド代表と3対6の大接戦演じた試合1989年平成元年)に日本代表スコットランド代表2824破った試合など、日本ラグビー史に残る数々名勝負が行われた。現在、日本代表試合トップリーグラグビー日本選手権全国大学ラグビー選手権関東大学ラグビー対抗戦Aグループ・リーグ1部)、全国高校ラグビー東京都表決勝など頻繁に使用されるそれゆえシーズン終盤である1月から2月には傷み激しくプレー支障が出ることが多い。2016年1月末の日本選手権決勝では、特に中央部分は完全にがはげ、グラウンド砂場化していた。実際に試合中砂場に足を取られ転倒する選手多く明らかにゲームの質を落としていた。2016年2月末のスーパーラグビー2016英語版開幕戦前日練習後には、ウイング山田章仁選手ぼろぼろになって土に近い部分残っていたピッチ指摘し、「グラウンド問題は、大きいと思います」と苦言呈した2009年平成21年6月ラグビージュニア世界選手権会場1つとして使用され決勝戦行われた2012年平成24年6月東京セブンズ会場として使用された。 国立競技場大型改修に伴い2014年度関東大学ラグビー対抗戦早明戦大学選手権準決勝2015年度から2018年度は同決勝含めて開催2015年からスーパーラグビー参戦したサンウルブズ日本における事実上のホームスタジアムにもなっている。 ラグビーワールドカップ2019においては試合会場として使用されず、日本代表練習拠点として使われた。

※この「施設の概要・歴史」の解説は、「秩父宮ラグビー場」の解説の一部です。
「施設の概要・歴史」を含む「秩父宮ラグビー場」の記事については、「秩父宮ラグビー場」の概要を参照ください。

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