政府・公団側の人物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 04:06 UTC 版)
村上 弘康(むらかみ ひろやす) 運輸省から転任し、空港公団用地課の課長となる。反対闘争の起きない空港づくりを願う。 過去に多くの公共事業での土地買収を手がけ、これまで強制収用に立ち会わなかったことが誇りであった。傲慢な政府の姿勢に疑問を持ち、運輸大臣への直談判を試みるが、事務次官によって阻まれる。 上司の阿部に土地収用法適用に対する懸念と民家に対する強制収用への反対意見をぶつけ、真由の祖父からの用地買収を任される。 阿部 貴(あべ たかし) 空港公団用地部部長。空港建設のためには強制収用もやむを得ないと考える。 公団分室に戸田ら反対同盟が抗議に来た際には全自連と共闘する反対同盟を牽制し、暴力には屈さないと述べた。 土地収用法に基づく事業認定が告示されると、話し合いをつくり土地の売却をするよう求める手紙を敷居内農家に出す。 安田(やすだ) 村上の部下。国や上層部の方針に対しシニカルな態度を取りつつも、空港の完成を公団職員の夢だとしている。 加藤(かとう)首相 内閣総理大臣。モデルは佐藤栄作。作品が主に取り扱っている三里塚案の内定から第二次代執行に至るまでの期間在任している。第二次代執行前の国会での野党の追及に対し、(三野塚は)既に民主的な話し合いのできる状態ではなく、(少年行動隊を念頭に)小中学生を動員してまで実力反対するなど人道上許されることではないとしたうえで、計画を変更せず代執行を予定通り行うと答弁した。 友名(ともな)知事 千葉県知事。モデルは友納武人。閣議決定を受けて空港建設を進める立場にあり、会見では話し合いの用意があり反対同盟の説得に努めるとしている。 自治体の長として強引な政府や公団の言いなりになる気はないとしながらも、最終的に知事の権限により行政代執行を発動する。行政代執行を延期すると述べていたにも関わらず、話し合いで解決するとしていたのぶの家に行政代執行が行われる。 大石(おおいし)運輸相 運輸省(現・国土交通省)大臣。モデルは大橋武夫。話し合いのため茂田市に来るが、反対派が茂田駅で阻止行動を行い、駅長室で一時身動きが取れなくなった。(反対同盟は空港建設を前提とした話し合いに応じないことを決めていた) 中根(なかね)運輸相 大石の後任の運輸省大臣。モデルは中曽根康弘。1967年11月に大臣に就任した際、地元農民に若干の反対があるとしながらも、5年後に4000 m滑走路を完成させるとした。 運輸相 氏名は不明。モデルは橋本登美三郎。第一次代執行直後に「これで反対派の農民もいくら抵抗してもだめだとわかったろう」と述べている姿がテレビで流れる。 運輸事務次官 氏名は不明。運輸大臣への面会を求めた村上の応対をする。政府による閣議決定に変更はありえず、農民はそれに従うのが一般的原則でありこれまでもそのやり方で問題にならなかったとして、村上との対話を打ち切った。 寺沢(てらさわ)総裁 空港公団総裁。今井栄文がモデル。押坂家のテレビで空港建設について楽観的な見通しを会見で述べている姿がしばしば放映される。 菊畑(きくはた)理事 空港公団理事。少年行動隊の結成について不快感を示しつつ、測量の時に年寄りや子どもたちを「盾」にしないよう、テレビ取材を通じて反対同盟に求めた。 松本(まつもと)部長 空港公団用地開発部長。会見で空港用地の80%を確保したことを発表するとともに、新空港を世界に恥じない日本の表玄関にふさわしい緑あふれる空港にしたいとした。
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