愛媛師範学校
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愛媛師範学校 (えひめしはんがっこう) は新制愛媛大学教育学部の前身の一つとなった師範学校である。
- ^ 池田洋三 『わすれかけの街 松山戦前』 愛媛新聞社、1975年、139頁
- ^ 国立公文書館「富山県属三宅五郎三郎外一名尋常師範学校長ニ被任ノ件」履歴書付、明治20年8月16日。
- ^ 国立公文書館「愛媛県尋常師範学校長遠藤宗義依願免官ノ件」明治22年12月6日。なお、国立公文書館デジタルアーカイブでは「愛知県」と誤入力されているので注意。
- ^ 『官報』第3199号、大正12年4月2日。
- ^ 「伊造」との表記もあるが、『官報』第8049号(明治43年4月25日)、『広島大学二十五年史』では「伴造」である。
- ^ 『官報』第4865号、昭和18年4月2日。
- ^ a b 『官報』第5664号、昭和20年11月28日。
- 1 愛媛師範学校とは
- 2 愛媛師範学校の概要
- 3 校地の変遷と継承
- 4 関連文献
愛媛県師範学校
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1900年2月27日: 師範教育令により愛媛県師範学校と改称。本科・小学校教員講習科・幼稚園保姆講習科を設置。 1900年4月: 女子部を再開 (3年制)。 1905年: 生徒によるストライキ事件発生。教諭転任に絡み校長排斥運動に発展。7月10日、生徒ら無期停学処分。10月1日、生徒ら復校。 1908年2月13日: 師範学校規程に準拠し、学則改正。男子部: 本科第一部 (4年制)・本科第二部 (1年制。中学卒対象) を設置。 女子部: 本科第一部 (4年制)・本科第二部 (2年制。高女卒対象) を設置。 予備科 (1年制。高小卒対象)・小学校教員講習科を附設。 1910年4月: 女子部を愛媛県女子師範学校として分離。 1912年: 校歌制定。『行方も知らず流れ去る』 (鈴木重太郎 作詞作曲)。 1912年11月11日: 「修養会事件」 発生。本科4年生、夜間に 「修養会」 と称して不良生徒に鉄拳制裁。29名停学処分。 1925年7月31日: 予備科を廃止。本科第一部を 5年制に延長 (高小卒対象に変更)。 1926年5月25日: 専攻科 (1年制) を設置。 1930年: 郷土館を開設。1931年4月に第二郷土館、1932年6月に第三郷土館を増設。 展示内容は、第一 (歴史・国語)・第二 (博物)・第三 (地理・実業)。 1931年4月: 本科第二部を 2年制に延長 (第二部は完全私費制に)。
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