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曽根松太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/27 23:49 UTC 版)

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曽根 松太郎

曽根 松太郎(そね まつたろう、明治2年10月20日[1]1869年11月23日) - 昭和20年(1945年[2])は、日本教育者。文化書房主。号は金僊

経歴

伊予国宇和郡吉田(現在の愛媛県宇和島市)出身[1]。小学校訓導、松山中学校教諭、郡視学を歴任。1901年(明治34年)、金港堂に入り、雑誌「教育界」編集主任となった[1]1911年(明治44年)に独立して明治教育社を設立するが、やがて廃業した[1]1919年大正8年)より南北社で編集長となるが、1922年(大正11年)に文化書房を興して再び独立した[1]

その他、東洋美術協会理事、中央教育品協会理事、愛媛県同交会長、帝国教育会評議員・出版部長[1]、同理事を務めた[3]

著作

  • 『当世人物評』(金港堂、1902年)
  • 『少年訓』(金港堂、1909年)

脚注

  1. ^ a b c d e f 大衆人事録 1930.
  2. ^ 愛媛県生涯学習センター. “データベース「えひめの記憶」- 愛媛県史 人物” (日本語). 2019年7月28日閲覧。
  3. ^ 大衆人事録 1943.

参考文献

  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。



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