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林吾一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/01 14:11 UTC 版)

林 吾一
誕生 (1851-05-29) 1851年5月29日嘉永4年4月29日
安芸国広島城内(現・広島県広島市
別名 吾一郎
死没 (1910-06-12) 1910年6月12日(59歳没)
墓地 文京区本駒込吉祥寺
職業 教育者
国籍 日本
最終学歴 東京師範学校中学師範学科
代表作 『幼稚保育篇』(1887年)
『教育 応用心理学』(1896年)
配偶者 しよう
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林 吾一(はやし ごいち、嘉永4年4月29日1851年5月29日) - 明治43年(1910年6月12日[1])は、日本教育者

経歴

広島藩出身。藩校漢学を学んだ後、大阪兵学寮で兵学を、大阪開成所で英語を学んだ。1875年(明治8年)に広島師範学校を、1879年明治12年)に東京師範学校(後の東京高等師範学校)を卒業した。その後、広島県師範学校教諭、宮城中学校校長、静岡師範学校校長、文部省編輯局勤務、愛媛県師範学校校長、栃木県師範学校校長、東京府女子師範学校校長・第二高等女学校校長事務取扱などを歴任した。

著作

著書・編書
  • 幼稚保育篇金港堂、1887年4月
  • 小学 全科教授法』前後編、山崎忠興ほか同輯、金港堂、1887年6月
  • 新定 小学習字帖教授法』 金港堂、1887年10月
  • 『神奈川県地理小誌』 金港堂、1887年10月
    • 神奈川県図書館協会郷土資料編纂委員会編 『神奈川県郷土資料集成 第1輯 地誌篇』 神奈川県図書館協会、1957年2月
  • 『家政読本』全3巻、金港堂、1888年4月
    • 田中ちた子、田中初夫編 『家政学文献集成 続編 明治期III』 渡辺書店、1970年11月
  • 教育 応用心理学』 金港堂書籍、1896年7月
訳書

脚注

参考文献

  • 『現今日本名家列伝』日本力行会出版部、1903年。 
  • 「林吾一君官歴」『教育界』第9巻第9号、金港堂書籍、1910年7月。 

関連文献

  • 「愛媛県師範学校長 林吾一君小伝」(『日本之小学教師』第1巻第4号、国民教育学会、1899年7月)
  • 林吾一」(内尾直二編輯 『第二版 人事興信録』 人事興信所、1908年6月)
公職
先代
(新設)
東京府女子師範学校長
1900年 - 1909年
次代
鈴木光愛
先代
(新設)
東京府立第二高等女学校長事務取扱
1900年 - 1909年
次代
鈴木光愛
先代
小浜宗介
栃木県師範学校長
1899年 - 1900年
次代
鈴木光愛
先代
愛媛県尋常師範学校長
町田則文
愛媛県師範学校長
1898年 - 1899年
愛媛県尋常師範学校長
1891年 - 1898年
次代
新原俊秀
先代
山田大夢
静岡県静岡師範学校長
1883年 - 1886年
次代
蜂屋定憲
先代
山田大夢
静岡中学校
1883年 - 1886年
次代
県立静岡中学校長
杉原正市
先代
和久正辰
宮城中学校長
1880年 - 1881年
次代
秋山恒太郎



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