応力腐食割れへの対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:31 UTC 版)
「福島第一原子力発電所」の記事における「応力腐食割れへの対応」の解説
本発電所の冷却系統配管、炉心シュラウド、ジェットポンプ等において、ステンレスが大量に使用された。当時使用されたのはSUS304と呼ばれる種類である。経済企画庁総合計画局は2号機が電調審で早期決定を見た際にはハダムネック、サン・オノフレ、インディアン・ポイント2号機、ドレスデン2号機、ブラウンズフェリー等の先行運開予定BWR-4プラントの経験が「貴重な資料となろう」と結んでいる。しかし、これらの内ドレスデンなどで応力腐食割れが発生したにもかかわらず、目立った対策はすぐにはとられなかった。後にはシュラウド交換の原因にまでなったが、当初は懸念材料として社外向けの技術誌『火力発電』1968年12月号への投稿記事で記述する程度にとどまった。 名嘉や菊池のようにGEの技術力を評価する者がいる一方で、その反対のエピソードもある。本発電所で運転に従事していた豊田正敏によれば、応力腐食割れ対策を東京電力が究明した際、当初GEは「応力腐食割れが起こる確率は低く、特に二十インチ以上の配管は心配ない」と主張したという。しかし、内外の専門家の意見を聞き、東京電力はGEの主張するほど発生確率は低くなく、二十インチ以上の配管でも発生すると判断した。対策としては豊田の東大第二工学部時代の同期生であった安藤良夫のアドバイスで、大規模改修をしなくても溶接個所の配管内面が圧縮応力になるように、配管内面を水冷し表面から高周波を当てる高周波誘導加熱応力改善法を東芝、日立と開発して乗り切った。 1号機の運転開始から数年すると、応力腐食割れ対策を施したSUS316が原子力発電にも使われるようになってきた。このため、改良標準化計画以降の原子炉はSUS316を使用するようになり、容易に交換可能な部分については既存の炉でも交換工事が順次実施された。 ただし、稼働率の回復時期(対策工事完工時期)については当時見通しの甘さがあった。『電気情報』1977年4月号に収載された座談会記事(座談会実施は1976年11月)にて、当時東京電力原子力保安部の職にあった豊田正敏は、1974年から75年に発覚したトラブル(米国の同型機で発覚した再循環系バイパス管のヘアクラック(応力腐食割れ)、2号機のチャネルボックス損傷)に対策を講じたことを根拠に、日本国内全般の原子力発電所を包含してではあるが「五一年度以降は比較的良好な稼働率が得られる見込み」としていた(一応、同対談に出席していた中部電力の安井恒政より1977年までを含んで「ここ一両年のうちに解決される」と追加説明が入っている)。この対談で指摘された低稼働率とは50%以下を指す。しかしながら、本発電所の1976、1977年の稼働率は最悪の状態を記録し、1, 2号機については下記のような成績に終わっており、持ち直し始めたのは1978年度に入ってからであった。 1976年度:1号機30.1%、2号機59.1%、3号機86.4% 1977年度:1号機9.2%、2号機7.9%、3号機49.4% 1978年度:1号機50.8%、2号機66.7%、3号機50.4%、4号機99.7%、5号機83.0% 1980年に『投資経済』が取材した際の回答によれば、初期に発生した応力腐食割れの内、配管については順次定期検査時に交換していった。交換された配管は材料、溶接法を改善したもので、この作業が加わる事で定期検査日数が10〜20日ほど延びるものの、1981年度中には交換予定箇所は全て交換済みとなる見込みとの回答であった。また、4号機以降では先行機の経験をフィードバックして最初から改善策を盛り込んだため、配管において応力腐食割れ問題は起こっていなかったという。更に、運転法も改善され、起動時に脱気運転を行う事で炉水中の溶存酸素を減少させるように工夫されたという。
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