年代決定、設定、作者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:54 UTC 版)
「古代エジプト文学」の記事における「年代決定、設定、作者」の解説
リチャード・パーキンソンとルートヴィヒ・D・モレンツ(ドイツ語版)は、古代エジプト文学——狭義のベル・レットル(英語版)(純文学)として定義される——は中王国の第12王朝の初期になるまで文字としては残されなかったとしている。古王国のテクストは主に神への崇拝を維持したり、魂を来世で護ったり、または日常生活の実用的な記録を残したりするのに用いられた。娯楽や知的好奇心などの目的でテクストが書かれるようになるのは中王国以降であった。パーキンソンとモレンツはまた、中王国の筆記作品は、古王国時代の口承文学を書き起こしたものであったと推測している。口承詩の一部が後世の筆記により保存されたことが知られている——例えば、担架運びの歌が古王国の墓碑銘に書かれた韻文として残っている。 古文書学の方法(筆跡の研究)によりテクストの年代を決定することには、ヒエラティック書体の異なるスタイルの存在から来る困難がある。正書法(書記体系と記号の用法の研究)による年代決定にも、テクストの作者がある古い原型の特徴的なスタイルを模倣した可能性があるという問題がある。フィクションの記述では遠い歴史的な設定が用いられることが多く、同時代の設定を使用するというのは比較的最近になってからの現象であった。テクストの書かれた時代よりもジャンルや作者による選択の方がテクストの雰囲気により大きく関与しうるので、あるテクストの文体は、その創作年代の決定にはほとんど役に立たない。例えば、中王国の作者たちは虚構による知恵文学の設定を古王国の黄金時代にしたかもしれず(『カゲムニの教訓(英語版)』、『宰相プタハヘテプの教訓(英語版)』、および『ネフェルティの予言(英語版)』の序文など)、また、険しい人生により似付かわしいエジプト第1中間期の動乱時代を舞台にしたフィクションを書いたかもしれない(『メリカラー王への教訓(英語版)』、『雄弁な農夫(英語版)』など)。他の虚構テクストはin illo tempore(特定不能な時代に)設定されており、通常は時代を問わぬ主題を取り扱っている。 ほぼ全ての文学的テクストは偽名で書かれており、ファラオや大宰相(英語版)といった歴史上の高名な男性に偽って帰せられることがしばしばあったとパーキンソンは書いている。歴史的人物を作者に擬すのは「教訓」および「ラメント・講話」という文学ジャンルのみにおいて見られ、「物語」といったジャンルのテクストが高名な歴史的人物に帰されることは決してなかった。エジプトの古典時代において「エジプトの書記官たちは、書記官たちの役割の歴史とテクストの『作者』に関する自分たち自身の見解を構築していた」が、古代エジプト末期においてはこの役割は神殿に属する宗教的エリートによって担われるようになった、とテートは主張している。 こうした匿名使用の規則にも若干の例外がある。ラムセス時代の教訓的テクストの一部では真の作者の名前が記されているが、こうしたケースは稀であり、地方に限定され、本流の作品の典型となることはなかった。私的な手紙や、時として手紙の模範文例を書いた者はオリジナルの作者が知られている。ある人物特有の筆跡により本人のものと特定することが可能な場合があったので、私的な手紙は裁判所で証拠として用いられることがあった。ファラオが受け取りもしくは書いた私的な手紙が王政を祝うためヒエログリフで石碑に刻まれることが時折あり、また石柱に刻まれた王の布告が一般に公開されることがしばしばあった。
※この「年代決定、設定、作者」の解説は、「古代エジプト文学」の解説の一部です。
「年代決定、設定、作者」を含む「古代エジプト文学」の記事については、「古代エジプト文学」の概要を参照ください。
- 年代決定、設定、作者のページへのリンク