帰国以降
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帰国後、東恩納は那覇で道場を開いたが当初は思うように弟子が集まらなかったという。文献上確認できる最初の弟子は、義村御殿の義村朝義(1866年-1945年)で、22、3歳の頃から東恩納寛量に師事したとのことであるから、数え年とすれば1887年(明治20年)頃の入門となる。その後、1902年(明治35年)頃に、許田重発、宮城長順ら、のちの高弟となる若者たちが相次いで入門した。東恩納の弟子には、他に摩文仁賢和、比嘉世幸、遠山寛賢などがいる。1915年(大正4年)、東恩納は持病の気管支喘息が悪化して弟子達が見守る中、死去した。
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帰国以降(1999年 - )
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同1999年、エコール・ノルマル卒業と同時に帰国。本格的なソロ活動を開始し、NHK交響楽団をはじめとする国内の主要オーケストラとも共演を重ねる。 2000年、ドイツのフォーグラー・カルテットと室内楽の日本ツアーを行う。同年、韓国のソウル・アート・センターにて初の韓国リサイタルを開催。 2001年、スペインのバレンシアにてロドリーゴ室内管弦楽団と初共演。同年、初のDVD『Contrastes』をリリース。 2002年、ロドリーゴ生誕100年を記念し、同楽団と日本ツアーを行う。 2003年、フォーグラー・カルテットとの二度目の日本ツアー、韓国、ソウル・アート・センターでのリサイタル、そしてイタリア国立放送交響楽団とのトリノ、フィレンツェでの共演とそれに続く日本ツアーを行う。同年11月、英デッカ・レコードと、日本人初のインターナショナル長期専属契約を結ぶ。 2004年、ホセ・マリア・ガジャルドとのデュオ・リサイタル・ツアーを行う。DECCA移籍後第一弾アルバム「トランスフォーメーション」を発売、その記念ツアーを日本全国で展開する。ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス指揮の読売日本交響楽団とロレンツォ・パロモの「アンダルシアのノクターン」の日本初演を果たす。 2005年、LGアート・センター他2か所を回る韓国ツアーを行う。上海音楽庁で上海交響楽団と共演し、中国デビュー公演を果たす。スペインにて、バレンシア・オーケストラとアランフェス協奏曲を演奏。「トランスフォーメーション」をヨーロッパ、韓国、香港をはじめ世界発売。同年10月、右手後骨間神経麻痺(橈骨神経麻痺)により演奏活動を休止、治療・静養に入る。 2006年1月、復帰してすぐにフランス、ナント音楽祭に参加、レコーディングも再開する。同年4月、アメリカ西海岸での初リサイタル・ツアーを行い、アメリカデビューを果たす。 2007年4月、大阪国際フェスティバルで、ロドリーゴ作曲による2本のギターの為の「マドリガル協奏曲」を、アンヘル・ロメロと共に演奏。 2008年、第9回ホテルオークラ音楽賞を受賞。同年4月、ベトナム国立交響楽団の定期演奏会(ハノイ・オペラハウス)に出演。7月、ケヴァントハウス・バッハ・オーケストラと日本、韓国ツアーを行う。8月、スペイン・サラゴサ万博のジャパン・デーにて、渡辺貞夫と共演。10月、トゥールーズ室内合奏団と、現地にて共演した後、日本ツアーを行う。 2009年、稲本響(ピアノ、作曲)、藤原道山(尺八)、三響会(邦楽囃子)、英哲風雲の会(和太鼓)とともに珠響(たまゆら)を結成し、2月にサントリーホールにて第一回公演を行う。10月、ドイツ人テノールのヤン・コボウとシューベルト「美しき水車屋の娘」を中心としたリサイタル・ツアーを開催。11月、韓国・ソウル・アート・センターにて、アンサンブルDITTOのリーダーであるヴィオラ奏者、リチャード・ヨンジェ・オニールをゲストに迎え、リサイタルを開催。 2011年11月、再び右手後骨間神経麻痺(橈骨神経麻痺)の治療により演奏活動を一時休止。 2012年2月、復帰。 2013年7月22日、舌腫瘍に罹患していることを公表し、治療のために長期休養に入ることを発表した。 2014年7月24日、自身のオフィシャルサイトにて以前より交際していた一般男性と結婚した旨を公表した。 2014年9月、吉永小百合主演の映画「ふしぎな岬の物語」のイベントに出演し演奏活動を再開。 2019年、12月23日発売の初エッセイ本「いつのまにか、ギターと」のなかで、2018年に離婚したことを綴り、明らかにした。
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