帰国同胞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 16:52 UTC 版)
日本からの帰国者は「帰国同胞」を縮めた「帰胞(キッポ)」や「在日同胞」を縮めた「在胞(チェポ)」と呼ばれて蔑まれ、差別される。李英和は、北朝鮮留学中、親族から「この国では党員にあらざるは、人にあらずだ」と話され、就職から結婚まで、ありとあらゆる差別を受けていることを直接聞いている。 稀ではあるが、該当者から2代(=孫の世代)を超え、かつ優秀な人材であれば登用される例もあるという。また、北朝鮮への帰国事業で北に渡った在日朝鮮人らは最下層に分類されているが、在日本朝鮮人総聯合会(総聯)が結成される以前に日本共産党に在籍、または総聯結成後も出国するまで日本共産党員だったなどの理由で、ごく例外的ながら「核心階層」入りした者がいることも確認されている。 朝鮮総連の幹部だった韓光煕によれば、在日朝鮮人のなかではエリート集団と自他にみとめる学習組も、本国の朝鮮労働党からすれば末端のフラクション(分派)にすぎず、労働党幹部からすればようやく人として認められるかどうかという程度の存在にすぎなかったと証言している。しかし、組織の末端に至るまでなんらかの優越感やプライドをもたせるところに統治の巧妙さがあるという。日本からの帰国者(帰国同胞)で労働党員になれる者はほとんどおらず、朝鮮総連の幹部級の子弟か、親が裕福で巨額の献金をしたかでなければ難しい。ただし、まったく不可能というのではなく、本人の忠誠度と能力で党員に取り立てられることもあり、その場合は周囲よりたいへんな出世とみなされる。一般の帰国者が労働党員になれる道としては、軍への入隊にほぼ限られる。かつて帰国者は軍への入隊を認められていたが、認められなくなり、それゆえ就職差別を受けることも増えたという。 一方、北朝鮮の強制収容所(管理所)の警備隊員だった安明哲の証言によれば、帰国同胞はしばしば「スパイ」の嫌疑をかけられ、収容所内では特に虫けらのようなひどい扱いを受けており、帰国同胞の女性がなぶり殺しにされる現場にも遭遇している。彼は、保衛員や戒護員が政治犯たちを殴りつけ、鞭打ち、怒鳴り声をあげるのを毎日聞いているが、それはだいたい夕方の早いうちから始められ、夜明けまで続けられた。ある時、50歳くらいの女性の帰国者が鞭打たれ、最後には自らへの呪詛と叶えられるはずもない心情をたどたどしい朝鮮語で戒護員にぶつけるのを聞いている。 ああ、私はどうして日本から北なんかに来たんだろう。なんでこんなことが見通せなったんだろう。夫にくっついて子供まで連れて…故郷だからと思ってついてきたのに、私がなんだってスパイにされなきゃならないんだ。日本の親戚たちは私たち家族がどんな目に遭ってるかも知らず、よい暮らしをしてるとばかり思っているのに。おい、犬畜生! うちの家族を日本にまた送り返せ! それができないと言うなら全員殺すなりしろ! もうこれ以上、こんなふうに生きるのはいやだよぉ… 彼女はそう叫んだあと、警棒で殴られ、絶命した。その後、保衛部長が日章旗や日本刀、天皇から下賜されたという勲章、免許証、下駄、着物などを示しながら、政治犯に対する敵愾心を緩めることの決してないよう、部下たちに訓示を述べたという。 青年時代に部落解放運動に身を投じた経験をもつ萩原遼は、北朝鮮は「日本の部落差別よりも何百倍もひどい差別政策」を国家の政策として採用していると指摘している。 なお、よど号ハイジャック事件を起こし北朝鮮に亡命した「よど号グループ」のうち、吉田金太郎は祖父が資本家だったために、グループから早期に離れたのではないかとの推測がある。
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