帰国・作家デビューとは? わかりやすく解説

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帰国・作家デビュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 03:30 UTC 版)

安部公房」の記事における「帰国・作家デビュー」の解説

1947年 (昭和22年) 3月女子美術専門学校 (現女子美術大学) の学生日本画専攻していた山田真知子 (後年安部真知名義安部著書装幀芝居舞台美術手掛ける) と結婚しそれまで真知子住んでいたアパート同居生活を始める。同年安部満洲からの引き揚げ体験イメージに基づく『無名詩集』を、謄写版印刷により自費出版する。ライナー・マリア・リルケマルティン・ハイデッガー影響受けたこの62ページ詩集には、失われた青春への苦悩現実との対決意思強く込められていた。 1948年 (昭和23年)、東大医学部卒業。ただし、医師ならないことを前提とした条件付き卒業単位付与であり、医師国家試験受験しなかった。 同年安部は「粘土塀」と題した処女長篇を、成城高校時代ドイツ語教師阿部六郎のもとに持ち込んだ。この長篇は、一切故郷拒否する放浪の末に、満洲匪賊虜囚となった日本人青年書き綴った、3冊のノート形式取った物語であったが、阿部六郎はこの作品文芸誌近代文学』の編集者1人である埴谷雄高送った埴谷はただちに安部才能認めたが、当時の「近代文学」の編集合議制であり、埴谷同人平野謙却下されることを危惧し、他の雑誌安部推挙したその結果粘土塀」の内の第一ノート」が翌年2月の「個性」に掲載された。これが安部にとってはじめての商業誌への作品発表となる。これがきっかけとなり、安部埴谷花田清輝岡本太郎らが運営する「夜の会」に参加埴谷花田らの尽力により、1948年10月、「粘土塀」は『終りし道の標べに』と改題され、真善美社から単行本上梓された。 1949年 (昭和24年) 4月初めシュルレアリスムの手法を採り入れた短篇小説、『デンドロカカリヤ』を発表する

※この「帰国・作家デビュー」の解説は、「安部公房」の解説の一部です。
「帰国・作家デビュー」を含む「安部公房」の記事については、「安部公房」の概要を参照ください。

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