帰国後から遷化まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:35 UTC 版)
1254年(建長6年)6月に博多に到着した。宋に滞在すること都合6年であった。そしてそのまま船で紀伊湊に到着することとなった。その後、無本覚心は金剛三昧院よっていた。そこで師の無門慧開の著作である『無門関』『語対御録』を請来した。1258年(正嘉2年)には金剛三昧院の住職(第6世)となったが、しばらくして無本覚心は禅定院住持を退き、由良に戻り、ときに紀伊由良荘地頭、葛山景倫(願性)の要請によって、西方寺(後の興国寺)の開山となった。
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