巨額詐欺事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 14:35 UTC 版)
自らも銀行から多額の融資を受けて株式の売買を行うようになった尾上は、バブル絶頂期の1988年には、2270億円を金融機関から借り入れ、400億円近い定期預金を持っていた。また株取引で48億円の利益を得て、1987年から日本興業銀行の割引金融債ワリコーを288億円購入し、55億円の金利を受け取っていた。同時期に興銀はワリコーや同行への預金を担保に尾上に融資を始めるが、これは銀行にとっては焦げ付きのリスクが全くない旨味のある取引で、行内では「マル担融資」と呼ばれ、1989年には融資残高は586億円にのぼった。 金融の自由化により銀行間の競争が激しくなり、融資先の開拓に苦慮していた興銀は、個人顧客の資産管理を総合的に手伝う「プライベートバンキング」といった中小企業や個人との取引に力を入れており、尾上に対して不動産投資も勧め、1990年8月には尾上の資産管理を行なう「株式会社オー・エヌ・インターナショナル」を設立した。同年、テレビ番組『なんてったって好奇心』に北浜の女相場師兼料亭女将として出演し、カバン一杯の株券や預金通帳を見せたり「神のお告げ」を披露したりした。 しかし、バブル景気に陰りが見えると運用悪化により負債が増加するようになった。1989年の延べ累計額では借入が1兆1975億円、返済が6821億円で、270億円の利息を支払った。1990年末には、2650億円の金融資産を保有していたが負債も7271億円に膨み、借入金の金利負担は1日あたり1億7173万円にも上っていた。 以前から手を染めていた詐欺行為を本格的に始めた尾上は、かねてより親交のあった東洋信用金庫今里支店長らと共謀して、架空の預金証書を作成させ、それを別の金融機関に持ち込み、担保として差し入れていた株券や金融債と入れ替え、それらを取り戻すなどの手口で犯行を重ねた。 1991年8月初旬に尾上は東洋信金の架空証書の件を興銀の担当者にだけ打ち明けた。興銀は自行の債権33億円を売り抜けて回収している。その直後、同年8月13日に尾上は詐欺罪で逮捕された。 尾上は7億円の保釈金を用意して翌1992年3月に保釈され、同年6月に大阪地方裁判所で破産宣告を受けた。 逮捕の時点までに尾上らは「ナショナルリース」などノンバンクを含む12の金融機関から3420億円を詐取していた。金融機関からの借入金総額はのべ2兆7736億円、支払額はのべ2兆3060億円に達しており、拘置所で破産手続を行った際の負債総額は4300億円で、個人としては日本で史上最高額となった。 また、ノンバンク最大の貸し手であったナショナルリースの担当社員も特別背任罪で逮捕された。ナショナルリースは不良債権をグループのサービサーへ債権譲渡し、1998年までに親会社の松下電器が未収債権について損失負担する形となり、2001年に松下クレジットとの合併を経て2010年に住信・パナソニックフィナンシャルサービス、さらに2012年に三井住友トラスト・パナソニックファイナンスとなっている。 尾上に巨額の融資を行い、支店長らが詐欺に加担していた東洋信金はこの事件により経営破綻して消滅し、預金保険機構の金銭援助を得て、1992年10月1日に三和銀行が救済合併して資産(正常債権)と一部の店舗を引き継ぎ、他の店舗網は府下の複数の信金へ譲渡された。 尾上は起訴され、裁判で1987年にワリコーを担保に25億円の借り入れを行ったことについての供述を求められると「特に必要なかったと思うのですが、頻繁に客として来てもらったので」と語った。尾上は頼まれると断れない性格であった。また金融の知識は無きに等しく、当時投資を行う者なら誰でも知っていた公定歩合という単語すら知らなかった。 尾上の弁護人は裁判で「尾上には株式の知識が全くなく、周囲に踊らされていただけであり責任能力はない」と主張したが認められず、1998年3月に懲役12年の実刑判決を受け、2003年4月に最高裁が尾上の上告を棄却し、実刑が確定した。 刑務所に収監後まもなく要介護状態となりひとりでは何もできなくなったものの、元気な時には毎晩拝んでいたという。
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