実際の九頭竜ダム落札を巡る動き
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「金環蝕 (石川達三の小説)」の記事における「実際の九頭竜ダム落札を巡る動き」の解説
1962年7月18日:黒金泰美、第2次池田内閣第2次改造内閣で官房長官に就任(〜1964年7月18日まで) 1964年7月10日:自民党総裁選挙で池田勇人が三選(同月18日、第3次池田内閣改造内閣発足)。 8月27日:藤井崇治・電発総裁退任(3期6年の任期満了に伴うもの。翌日、後継総裁として吉田確太が就任)。 9月17日:電発作業班、九頭竜ダム予定価格の作成作業を開始(〜24日まで) 9月24日:予定価格作成作業が終了。同日午後、ゼネコン各社の入札締切を経て電発役員会開催。同会にて落札選考基準と最低落札価格(ロワー・リミット)決定し厳封。 10月1日:入札結果を役員会で開封。入札5社中、最低落札価格を超えたのは鹿島建設のみ(すなわち最高価額)で、同社に落札となる。 同月:アングラ情報誌『マスコミ』(言論時代社刊)に“謎の政治献金5億円、九頭竜ダム入札に疑惑”の記事掲載。記事中、藤井・電発前総裁が“在任中から鹿島からの誘惑があり、先の自民党総裁選では池田首相は巨額借金をしていて、穴埋めに無理をしようとしている”と発言。 10月25日:池田勇人、首相退陣表明。 11月9日:後継首相に佐藤栄作。第1次佐藤内閣発足。 12月:ダム建設による水没補償問題で、水没鉱山主の依頼により児玉誉士夫と渡辺恒雄が電発との仲介をはじめる。 1965年2月12日:中林恭夫(池田前首相秘書官事務取扱・当時、大蔵省証券局課長補佐)、自宅官舎屋上から転落死。 2月25日:田中彰治代議士、衆院決算委員会席上で九頭竜川ダムの入札疑惑を追及。 2月28日:福井県、九頭竜川ダム建設計画を認可。 3月4日:倉地武雄・言論時代社社長、藤井・電発前総裁を衆院決算委員会で参考人質疑。倉地は「記事内容に間違いない」と断言、藤井は発言内容を全面否定し、両者の意見が食い違う。また、会計検査院長は「最低落札価格(ロワー・リミット)は矛盾」、法務省刑事課長は「不正事件を担当した経験から何かがおかしい」とそれぞれ発言。 4月:九頭竜ダム工事着工 4月9日:倉地武雄、同三男に刺殺される。 4月23日:吹原産業事件で、吹原弘宣・同社社長を逮捕。吹原は黒金の実印付保証書を用いて金融機関から預金証書を詐欺しており、黒金への疑惑が持ち上がる。 5月10日:森脇将光、吹原産業事件で逮捕(私文書偽造・恐喝未遂)。その後、最高裁にて懲役5年、罰金3億5000万円の判決確定を受け、1980年に収監されるも、翌年、病気のため執行停止で出所、1989年の昭和天皇逝去に伴う特別恩赦で刑の執行免除となる。1991年、老衰のため死去(91歳没)。 5月14日:高橋等・法相、「黒金保証書は偽造で、事件は、政界とは関係が無い」と記者会見。黒金泰美は立件を免れたものの事実上失脚、その後目立った活躍も無く1969年の総選挙で落選、その後、復帰したものの、1976年の総選挙で再度落選、政界を引退した(1986年死去)。 7月7日:森脇は、1962年から1964年にかけて総額38億円の巨額脱税容疑で追起訴される。 7月15日:渡辺喜三郎・鹿島建設副社長、肺炎のため自宅で死去。 7月:児玉らによる水没補償の仲介は実らず、打ち切られる。 8月13日:池田勇人が死去。 1966年8月5日:田中彰治・衆院決算委員長、虎ノ門(国有地払い下げ)事件にからみ、小佐野賢治・国際興業会長を脅迫し、2億4000万円の手形決済を延期させたとして逮捕される(1975年、控訴中に死去)。 1968年6月:九頭竜ダム完成
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