妙覚寺・二条御新造とは? わかりやすく解説

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妙覚寺・二条御新造

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:29 UTC 版)

本能寺の変」の記事における「妙覚寺・二条御新造」の解説

北北東1.2キロ離れた場所にあった妙覚寺旧地上妙覚寺町)の信忠は、光秀謀反の報を受けて本能寺救援向かおう出たが、村井貞勝(春長軒)ら父子3名が駆け付け制止した村井邸(三条京極・旧春長寺)は現在の本能寺門前にあったが、当時の本能寺は場所が異なるため、東に約1キロ離れたにあった前述のように本能寺全周水堀囲まれて、特に西洞院川に遮られる東側からの接近は困難であり、四門明智勢に囲まれ後で容易に入る事はできなかった。そこで彼らは二条通方に向かって妙覚寺馳せ参じたのである。 (『信長公記によれば)春長軒が「本能寺はもはや敗れ御殿焼け落ちました。敵は必ずこちらへも攻めてくるでしょう二条御新造構え堅固で、立て籠もるのによいでしょう本能寺は早落去仕、御殿も焼落候、定而是へ取懸申すべく候間、二條新御所者、御構よく候、御然るべし)」と言うので、信忠はこれに従って隣の二条御新造二条城)に移った信忠は、二条御新造の主である東宮誠仁親王と、若宮和仁王(後の後陽成天皇)に、戦場となるからと言ってすぐに内裏脱出するように促した。春長軒が交渉して一時停戦し、明智勢は輿を使うのを禁止したが、徒歩での脱出許可した脱出したものの街頭で途方に暮れていた親王一家を心配し町衆である連歌師里村紹巴粗末な荷輿を持ってきて内裏運んだ阿茶局二宮御付き公卿衆や女官衆もすべて脱出したのを見届けた上で信忠軍議始めた側近中には退去なさいませ」と脱出して安土へ向かうことを進言する者もあったが、信忠は「これほど謀反だから、敵は万一にも我々を逃しはしまい雑兵の手かかって死ぬのは、後々までの不名誉無念である。ここで腹を切ろう(か様之謀叛によものがし候はじ、雑兵之手にかゝり候ては、後難無念也。ここに而腹を切るべし)」と神妙に言った。(『当代記によれば信忠毛利良勝福富秀勝菅屋長頼議論している間に、明智勢は御新造包囲終えて脱出不可となった正午ごろ(午の刻)、明智1万御新造攻め寄せてきた。信忠の手勢は500名余で、さらにこれに在京信長馬廻衆馳せ参じて1,000から1,500名ほどになっていた。信忠の手勢には、腕に覚えのある母衣衆が何名もおり、獅子奮迅戦い見せた1時間以上戦い続け(『蓮成院記録』によると)信忠勢は門を開けて打って出て、三度まで寄手撃退したほど奮戦した小澤六郎三郎町屋寄宿していたが、信長がすでに自害した聞き周囲止めるのも聞かず急いで信忠御座所駆けつけて、明智勢を装って包囲網潜り抜けると、信忠挨拶をしてから門の防戦加わった梶原景久の子松千代町屋で病で伏せていたが、急を聞きつけて家人又右衛門と共に御新造駆けつけた。信忠感激して長刀授け両名とも奮戦して討死した。明智勢は近衛前久邸の屋根に登って弓鉄砲で狙い打ったので、信忠側の死傷者多くなり、戦う者が少なくなった。明智勢はついに屋内突入して建物火を放った信忠は、切腹するから縁の板を外して遺骸床下隠せ指示し鎌田新介介錯命じた一門衆近習郎党尽く枕を並べて討死しており、死体散乱する状況で、火がさらに迫ってきたので、信忠自刃し、鎌田は是非もなく首を打ち落して指示に従って遺体隠した。(『当代記によれば鎌田自分追腹をするべきだと思ったが、どうした事かついに切らずじまいだった。(御新造焼け落ちたことで)信忠遺体も「無常の煙」となった信忠側近奮戦殉死妙覚寺には、一門衆赤母衣衆多数滞在していた。彼らは信忠と共に二条御新造移って上記のように奮戦したが、衆寡敵せず斎藤利治(新五)を中心に福富秀勝菅屋長頼猪子兵助団忠正らが火を放ちよく防いでいる間に信忠自刃した。側近たちもそれぞれ討ち死を遂げた。『南北山城軍記』には「班久勇武記するに遑あらず且諸記に明らけし、終に忠志を全ふして天正壬午六月二日未刻、京師二条城中において潔く討死して、君恩泉下報じ武名日域輝かせり」とある。 家人忠義尽くした安藤守就家臣松野平介云うものがあり、安藤追放され時に松野だけは信長によって召し抱えられたために大恩があったが、変の起こったときに遠方にいて妙顕寺着いたときにはすべてが終わっていた。松野斎藤利三知り合い明智家出仕するように誘われたが、主人危機に際して遅参した上に敵に降参するのは無念であると言って信長の後を追って自害した土方次郎兵衛というものも、同じく変に間に合わなかったことを無念に思って追腹をして果てた

※この「妙覚寺・二条御新造」の解説は、「本能寺の変」の解説の一部です。
「妙覚寺・二条御新造」を含む「本能寺の変」の記事については、「本能寺の変」の概要を参照ください。

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