母衣衆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 09:59 UTC 版)
武士の組織化が進んだ戦国時代には、母衣は赤や黄など目立つ色で着色されており、敵味方からも識別しやすい母衣は大名の精鋭の武士や、本陣と前線部隊の間を行き来する使番に着用が許される名誉の軍装として使われることがあり、それら使番の集団を「母衣衆(幌衆)」と称した。次節で紹介する織田信長の母衣衆が特に有名である。織田氏の職制を参考にしたと思われるが、豊臣秀吉にも黄母衣衆や、赤母衣衆、腰母衣衆、大母衣衆などがあり、江戸時代の諸藩の中にも藤堂家や仙台伊達家などのように、軍制としての位置づけは形骸化しているが、側近を表す名誉職として母衣衆を置く藩があった。
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