阿茶局とは? わかりやすく解説

雲光院

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 05:39 UTC 版)

雲光院(うんこういん、天文23年2月13日1554年3月16日)-寛永14年1月22日1637年2月16日[1])は、戦国時代から江戸時代前期にかけての女性。徳川家康側室[2]。飯田氏[3]。名は須和。号は阿茶局、雲光院、民部卿一位局一位尼。実子として神尾守世、神尾守繁、養子として神尾元勝菊姫がいる。


注釈

  1. ^ 『江東区史』では、天正14年(1586年)に寡婦となり、家康に仕えたとある。ただし、そうなると、小牧長久手役の後のことになる[5]

出典

  1. ^ 阿茶局』 - コトバンク
  2. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 41頁。
  3. ^ a b 東京大学史料編纂所 1963, p. 150.
  4. ^ a b 真田 1912, p. 335.
  5. ^ a b c 江東区 1957, p. 1429.
  6. ^ 宮本義己「家康が与えた子供たちへの手紙」『歴史読本』38巻19号、1993年
  7. ^ a b 江東区 1957, p. 1430.
  8. ^ 真田 1912, p. 336.


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阿茶局

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徳川家康 (山岡荘八)」の記事における「阿茶局」の解説

家康側室

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