女子体育は女子の手でとは? わかりやすく解説

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女子体育は女子の手で(1915-1922)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 02:19 UTC 版)

二階堂トクヨ」の記事における「女子体育は女子の手で(1915-1922)」の解説

1915年大正4年5月東京女高師教授となり、第六臨時教員養成所教授兼任する同年6月には文部省講習会講師教員検定臨時委員就任1916年大正5年7月には文部省視学委員になり、夏休みには自ら体操講習会開催して日本各地飛び回った。また著書体操通俗講話』、『足掛四年』、『模擬体操実態』を1917年大正6年)・1918年大正7年)に立て続け出版東京女子大学学長となっていた安井てつ請われて、1918年大正7年5月から1922年大正11年3月まで同学授業行った女高師臨時教員養成所では共に家事科の生徒体育教えダンス体操遊戯スポーツ指導行った。この時の教え子に、女子体育指導者となる戸倉ハル加藤トハ旧姓内田)がいる。戸倉この頃のトクヨが「女子体育は女子の手で」と口癖のように言っていたことを証言している。 授業では、イギリスから持ち帰ったメイポールダンス、クリケットホッケー取り入れ生徒肋木ぶら下げておいてゆっくりと説明するのが常であったこの頃体操指導は、上司永井道明苦労してまとめ上げた学校体操教授要目』に従うことが求められていたが、その体操ドリル中心とした味気ないものであり、トクヨは要目よりもオスターバーグから習ったイギリス式生き生きとした体操強引に実施していた。また、永井ダンス価値をほとんど認めておらず、女高師体操服永井受け持ちクラスブルマーだったのに対し、トクヨのクラスはKPTCと同じチュニック採用するなど、永井とトクヨの間に対立生じていった。永井自身後継者としてトクヨに期待していただけに、裏切られ格好となり、トクヨは体操資格がないクラス配置転換されてしまった。さらに永井との対立は、東京女高師でのトクヨの孤立至りノイローゼとなって鎌倉に引きこもってしまったこともある。この時は安井てつ助力により、無事に東京女高師復帰した一方で、オスターバーグからかけられた「ここ(KPTC)にちなみを持ったクイーンスフィールド体操専門学校建てるように祈ります」の言葉を胸に抱き学校建てる構想温め続けていた。 まず、トクヨは1919年大正8年)の体操女教員協議会東京女高師開催)の場で女子体操教師120人に呼び掛けて全国体操女教員会」(後に体育婦人同志会改称)を立ち上げ、自ら会長就任した全国体操女教員会を率いたトクヨは、スウェーデン国立中体操学校イギリスのKPTCのような体操研究指導者育成を担う「体育研究所」を設立すべく10万円を目標寄付募り始めた。しかし1921年大正10年)に文部大臣官房が「体育研究所」の設立議案策定し、その経費150万円発表されると、トクヨは10万円では到底研究所作れないことを悟り、また「国がいつか建ててくれるなら」と人々思われたことで3,300円しか募金は集まらなかった。そこでトクヨは、構想温めてきた自身体操塾設立する資金募金振り向けることに決め寄付者理解求めた次に1921年大正10年5月雑誌『わがちから』を創刊し女子体育重要性社会訴えた。『わがちから』は毎号1,000印刷し平均500冊ほど販売していた。関東大震災による中断はさんで1925年大正14年1月に『ちから』に改題1927年昭和2年4月の『ちから第51号』を最後に発行停止した当初女子体育専門誌であったものの、次第二階堂体操塾宣伝移行していき、末期12冊は「体育写真画報」と銘打って完全に塾の紹介だけになっている雑誌発行業務追われて、トクヨは講習会講演会を開く余裕なくなり視学委員仕事返上した。 『わがちから』を創刊し1921年大正10年)には正六位叙せられた。

※この「女子体育は女子の手で(1915-1922)」の解説は、「二階堂トクヨ」の解説の一部です。
「女子体育は女子の手で(1915-1922)」を含む「二階堂トクヨ」の記事については、「二階堂トクヨ」の概要を参照ください。

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