報道統制
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「ソビエト連邦における検閲(ロシア語版、英語版)」も参照 国内 上記のように外国の放送の傍受が禁止されていたうえ、テレビやラジオ、新聞などのマスコミによる報道は共産党の管制下に置かれ、国家や党にとってマイナスとなる報道は、1980年代にグラスノスチが始まるまで流れることはなかった。 このような規制は外国の事件や、チェルノブイリ事故や大韓航空機撃墜事件のような国際的に影響がある事件に対してだけでなく、国内の政治、経済的な事件も、党幹部の粛清や地下鉄事故、炭鉱事故のような事件に至るまで、それが国家や党に対してマイナスの影響を与えると判断されたものはほとんど報道されることがなかったか、仮に報道されても国家や党に対して有利な内容になるよう歪曲されていた。そのため、西側の国でオリンピックなどがあると、そこで初めて真実を知ったソ連の選手や関係者がそのまま亡命希望するケースが頻発した。 ロシア革命以前の支配者のニコライ2世やその家族を裁判なしに銃殺した真実を明らかにしようと、1979年に地質調査隊が皇帝一家の遺骨の発掘を行ったが、KGBに逮捕された事例がある。しかしソ連崩壊後にロシアでは70年以上も隠蔽されたこの事実が明らかになり、ロシア革命から80年を経た1998年に葬儀が行われた。 国外 西側諸国の報道機関の特派員は基本的に国内を自由に取材、報道することは禁じられており、事前に申請が必要であったがその多くは却下され、たとえ許されたとしても取材先の人選や日程はすべてお膳立てされたものに沿わなければならなかった。モスクワオリンピックなどの国際的イベントや、西側諸国の首脳陣の公式訪問が行われる際にソ連を訪れた報道陣に対しては、このようなお膳立てされた取材スケジュールが必ず提供された。 西側諸国の報道機関で働くソビエト人従業員も自主的に選択することは許されず、当局からあてがわれた者を受け入れるのみとされ、その多くが西側諸国の報道機関やその特派員の行動を当局に報告する義務を負っていた。
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報道統制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/12 22:19 UTC 版)
独裁国家だけでなく民主国家でも、特に戦死に関しては遺族感情や国民感情などを理由に報道統制が行われる傾向が強い。アメリカでは、ベトナム戦争では従軍記者などによる比較的自由な取材・報道が行われたが、それが激しい厭戦気分や反戦運動と敗北に影響したとの意見も存在し、湾岸戦争やイラク戦争では戦死者・戦傷者などの映像や写真は厳しく規制された。
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