『台湾日日新報』のその後
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「台湾新報」の記事における「『台湾日日新報』のその後」の解説
その後、『台湾日日新報』は、日本統治下の台湾において最大でかつ最も長続きした新聞となった。しかし、太平洋戦争の激化に伴う戦時報道統制により、1944年(昭和19年)4月1日に総督府がこの当時の他の主要日刊紙である『興南新聞』(本社・台北)、『台湾新聞』(同・台中)、『台湾日報』(同・台南)(1937年『台南新報』から改題されたもの。前述『台湾日報』とは別)、『高雄新報』(同・高雄)、『東台湾新聞』(同・花蓮港)の5紙と統合させ、『台湾新報』(新)とした。この『台湾新報』(新)は、戦時下の厳しい紙事情にかかわらず、発行部数16万7000部であった。太平洋戦争での日本の敗戦後は『台湾新報』(新)は国民政府により接収され、『台湾新生報(中国語版)』と改称された。
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『台湾日日新報』のその後
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「台湾日日新報」の記事における「『台湾日日新報』のその後」の解説
太平洋戦争の激化に伴う戦時報道統制により、1944年4月1日に総督府がこの当時の他の主要日刊紙である『興南新聞』(本社・台北)、『台湾新聞』(同・台中)、『台湾日報』(同・台南)、『高雄新報』(同・高雄)、『東台湾新聞』(同・花蓮港)の5紙と統合させ、『台湾新報』(新)とした。この『台湾新報』(新)は、戦時下の厳しい紙事情にかかわらず、発行部数16万7000部であった。太平洋戦争での日本の敗戦後は『台湾新報』(新)は国民政府により接収され、『台湾新生報(中国語版)』と改称された。 台湾日日新報 台湾日日新報 台湾日日新報 台湾日日新報
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