堀川とんこう
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堀川 とんこう(ほりかわ とんこう、本名・堀川 敦厚(ほりかわ あつたか)。1937年5月24日 - 2020年3月28日[1][2][3])は、日本のテレビドラマのプロデューサー・演出家ならびに映画監督である。群馬県吾妻郡中之条町出身。妻は脚本家、ノンフィクション作家の高木凛。
- ^ “堀川とんこう氏が死去 テレビプロデューサー”. 日本経済新聞. (2020年4月3日) 2022年3月22日閲覧。
- ^ a b c “堀川とんこうさん死去”. 朝日新聞. (2020年4月3日) 2022年3月21日閲覧。
- ^ a b c “悼む:テレビ演出家・堀川とんこうさん=3月28日死去・82歳”. 毎日新聞. (2020年4月27日) 2022年3月21日閲覧。
- ^ a b 堀川とんこう著『今夜も、ばれ飯』(1995年、平凡社)の巻末に、以下の記載がある。――堀川とんこう(ほりかわ とんこう)TBSプロデューサー/ディレクター。1937年5月生まれ。東大文学部英文科卒業。1961年東京放送入社。手がけたドラマに『七人の刑事』(1967)、『グッドバイ・ママ』(76)、『岸辺のアルバム』(77)、『モモ子シリーズ』(82~90)、『私を深く埋めて』(84)、『或る「小倉日記」伝』(93)、『ボクの就職』(94)、『父系の指』(95)などがある。――以上
- ^ 映画ぺディア 堀川とんこう・ 佐野真一著「凡宰伝」(文春文庫)よりの部分引用。「小渕恵三とは小中学校とも同級生。小渕から「いい大学に進むなら高校から東京の高校に通っていたほうがいい」と勧められ東京都立戸山高等学校に編入しようとしたが、結局断念。しかし堀川は高崎高校から東京大学に(現役)合格した。
- ^ 第32回銀杏並木文学賞 - 東京大学教養学部学友会学生理事会
- ^ 書誌情報 - 国立国会図書館サーチ
- ^ GALAC No.277/2020年6月号 ●追悼 堀川とんこう/鈴木嘉一(p38)「2時間ドラマ隆盛の時代、作家性を存分に発揮する作品を生み出してテレビドラマの領域を拡大した堀川とんこうさん。松本清張から黒井千次、池澤夏樹まで多くの文学作品の映像化を手掛け、高い評価を得た。」
- ^ TBS塔友127号p49.50 堀川大人 田沢正稔 「鴨下さんと岸辺(アルバム)」、大山さんと「岸辺」が、話題に上ることがあっても「堀川さんの岸辺」 について語られる話はあまり耳にしません。プロデューサーとして、地味に舞台の袖に退いている、といった風情です。(略)功を語らない、のは性分なのでしょう。
- ^ GALAC No.277/2020年6月号 ●追悼 堀川とんこう/鈴木嘉一(p38)「文学の世界によりかかるのではなく、映像で拮抗し、テレビドラマの領域を広げようとする姿勢は際立っていた。〈視聴者の見たがる物はこれだ、と言われても、そう簡単に自分を手放せない。どこかに自分の生き方や考え方を込めようと、身をよじるように作ってきた。〉」
- ^ 民放 2020.7(p49) 個性派ディレクターの時代 ―堀川とんこうさんを悼む― 鈴木嘉一 堀川の後に映画監督デビューすることになった鶴橋は「映画作りの苦労や失敗談を聞かされた。<誰かの悪口や愚痴じゃなくて、客観的なアドバイスだった>と思い起こす。」
- ^ “(語る 人生の贈りもの)橋爪功:11 僕の放哉、渥美さんが見て…”. 朝日新聞. (2023年7月3日)
- ^ 堀川とんこうの自著『ずっとドラマを作ってきた』に竹下景子、小林薫、蟹江敬三、橋爪功らとの関係を示す文章がある。また、堀川とんこうの作品群に、市原悦子の名前がたびたび掲載されている。
- ^ “(惜別)堀川とんこうさん テレビプロデューサー・演出家”. 朝日新聞. (2020年5月23日)
- ^ 福相寺の由来 正住山福相寺オフィシャルサイト
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- 2 堀川とんこうの概要
- 3 著書
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