地方病撲滅に至る日本国内有病地間での動向とは? わかりやすく解説

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地方病撲滅に至る日本国内有病地間での動向

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:54 UTC 版)

地方病 (日本住血吸虫症)」の記事における「地方病撲滅に至る日本国内有病地間での動向」の解説

山梨広島福岡佐賀など日本国内各地における日本住血吸虫症対策は、研究者間や医師間のレベルでは各種論文はじめとする学術的観点から地域越えた交流があり、解明当初より活発な意見交換などが行われ、当疾患原因解明大きく寄与したことは前述した通りである。しかしその一方で、主に地域農民により行われた殺貝作業など、現場住民同士意見交換重要な民間レベルでの交流戦前まではほとんど行われずそれぞれの地域ごと対策がとられていた。民間レベルでは通信移動情報発信といったインフラ貧弱な時代であった山梨で「地方病」、広島で「片山病」、福岡で「マンプクリン」と、離れた場所でそれぞれ別の名前で呼ばれ、さらに中国では「シーチチュン(血吸虫病)」と呼ばれていた奇病が実は同じ病気であった解明されたのは、研究者努力さることながら情報伝達技術交通機関発達といったインフラ整備によって多く人間情報共有できるようになったことも大きな要因である。 戦後の混乱落ち着いた1953年昭和28年12月山梨県佐賀県福岡県広島県岡山県の5県知事日本住血吸虫症の有病地知事会を結成し研究成果交換などを申し合わせ1960年昭和35年各県有病地の市町村長行政関係者初め一堂会し当時韮崎市浅川彦六初代会長とする日住病全国有病地対策協議会発足させた。 第1回会合甲府市舞鶴会館行われ各県毎年持ち回り協議会開き、有病地の視察対策や国への要望事項取りまとめなど、互いに励まし助け合っていくことを誓った。 この第1回会合視察の際に、果樹園転換され甲府盆地土地利用見た福岡県職員感心する同時に乳牛放牧している久留米市長門石町内の筑後川河川敷思い出し、もしやと思い福岡戻った河川敷調べると案の定大量ミヤイリガイ発見、しかもその半数以上がセルカリア感染していることが判明した結局この河川敷1965年昭和40年)までに、ゴルフ場テニスコートなどに土地改良され、筑後川流域でのミヤイリガイは完全に絶滅された。福岡関係者にとって、甲府盆地での土地利用視察福岡における本疾患撲滅に繋がるエポックメイキング出来事であった。 日住病全国有病地対策協議会発足以来、関係各省庁への積極的な陳情行い寄生虫病予防法改正水路コンクリート補助事業の期間延長)をはじめとする撲滅活動推進果たし各地対策事業落ち着いた1982年昭和57年5月27日甲府古名ホテル開催され第23回大会において解散宣言されその活動終えた

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