土俵外の出来事・交友関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 09:42 UTC 版)
2007年2月に結婚したが、平成後半に結婚した力士で有力後援者の娘と結婚したのは白鵬くらいのものだと言われ、令和期には力士の結婚と言えば一般人との恋愛結婚が専らだとされる。 2009年8月30日、全日本プロレスの後楽園ホール大会を最前列の席で観戦していた白鵬は、元横綱曙らが出場した6人タッグ戦の途中、自ら立ち上がり、場外乱闘で曙が羽交い締めにしたTARUにチョップ2発を見舞った。後日10代友綱から事実確認と抗議の電話が全日本に入り、全日本側は内田雅之取締役が事実関係を認めたうえで口頭で謝罪したという。 婚姻から3年後の2010年2月21日に東京都内で結婚披露宴を行った。なお引退直後の朝青龍は姿を見せず、祝電が届くのみであった。2月27日には妻の出身地である徳島県鳴門市にある大塚国際美術館でも結婚披露宴を行っている。 ボクシングの内藤大助とは友人の間柄で、度々内藤の試合を観戦に訪れている。また、白鵬が内藤の所属する宮田ジムを訪れたこともあるし、逆に内藤が宮城野部屋でトレーニングを敢行したこともある。この関係は、白鵬のライバルである朝青龍が内藤のライバルである亀田興毅と親密である事と、好対照を成している。 2010年から北海道滝川市の観光大使を、2013年からは名誉観光大使を務める。同市が味付けジンギスカンの発祥の地である事、菜種の栽培でモンゴルに技術協力を行ってる事、市内の國學院大學北海道短期大学部がモンゴルからの留学生を受け入れている事などが縁。同時に、寒冷地であるモンゴルで米作りを目指す白鵬米プロジェクトの一環で、滝川市産の縁起米白鵬米(品種はななつぼし)を発売している。白鵬本人も田植えや稲刈りにたびたび参加している。 2010年7月場所は大相撲界の賭博問題によるテレビ・ラジオ中継の生放送及び天皇賜杯などの表彰自粛があったが、場所後に明仁天皇からねぎらいの書簡が送られた。天皇が優勝力士に書簡で気持ちを伝えるのは異例のことである 2010年12月10日、日本漢字能力検定協会が「今年の漢字」として「暑」を選んだが、これに関連し、朝稽古後に報道陣が今年一年を象徴する漢字は何かと尋ねた。白鵬は「運・夢・心」の三文字を挙げ、理由を「心で頑張って、夢をつかむ。それには運も必要だから」と語っている。 2011年6月8日に本人公認のオフィシャル応援歌として、元・幕内力士で現在は歌手の大至の歌による『天運』(エイフォース・エンタテイメント、2011年)というシングルCDが発表された。CDの発売に際しては白鵬が推薦文を寄せているほか、CDの売り上げ金から大相撲を志す未来の力士などを両国国技館に「白鵬シート」として招待する計画を予定していて、その第1弾として2011年9月場所7日目(9月17日)に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の被害で福島県双葉町から埼玉県内に避難している被災者23名を両国国技館の「白鵬シート」に招待した。 2013年5月14日付で、拓殖大学より客員教授に委嘱されることが決定している。 2017年7月場所4日目には将棋棋士の藤井聡太が場所を観戦しており、白鵬が藤井と対面して話題となった。 2017年9月1日の横綱審議委員会稽古総見を事実上欠席したその日の夜、YOSHIKIのディナーショー東京公演初日にゲストとして出席。8月27日には日本テレビ「24時間テレビ」のフィナーレにも姿を見せていた。休場中のこの挙動を批判するメディアもあり、相撲協会も9月28日に部屋持ちの親方で構成する師匠会で、巡業を休場する力士の行動に関して注意喚起した。春日野広報部長(元関脇・栃乃和歌)は、公式行事である巡業を休むにもかかわらず、私的なイベントなどに出席することを疑問視。「師匠の指導がなっていないということだろう。(力士は)何で飯を食っているのか考えないと」と話した。 2017年7月場所で通算最多勝利記録を更新したことに対し、両国国技館で横綱審議委員会から特別表彰され、自ら選んだ「夢」「心」「運」の3文字を書家の仲川恭司が揮毫した記念の書を贈られた。その際、白鵬の所持品を収めた記念館が、早ければ2018年末にも大阪市内に完成することが報道された。
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