因幡の菖蒲綱引きとは? わかりやすく解説

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因幡の菖蒲綱引き

名称: 因幡の菖蒲綱引き
ふりがな いなばのしょうぶつなひき
種別1: 風俗習慣
保護団体名: 宝木菖蒲保存会水尻菖蒲保存会青谷連合菖蒲保存会大羽尾菖蒲保存会
指定年月日 1987.01.08(昭和62.01.08)
都道府県(列記): 鳥取
市区町村(列記): 鳥取市気高町宝木鳥取市気高町水尻鳥取市気高町青谷岩美郡岩美町大羽尾
代表都道府県 鳥取県
備考 旧暦5月5日及び前後土・日曜日青谷)、旧暦5月5日に近い日曜日宝木水尻)、6月5日の後の日曜日大羽尾
解説文: 我が国には、小正月綱引き盆綱引きなど季節の折り目に綱を引きずったり、綱を引き合ったりする行事広く全国的に分布していたが、一部地方除き、これらの多く社会状況変化等により形骸化したり消滅しつつある。
 綱引きは、元来庶民の間の信仰から発生した行事で、生業社会構成世界観など相違から複雑な様相呈して行われてきたものの根底には生業人生などに対す願いこめられてきた。
 因幡地方伝承されてきた綱引きは、『因伯人情と風俗』(大正十五年刊)に記されており、古老によると江戸時代末期までに遡ることができ、五月節供実施されてきたところに共通点があり、子供集団中心となって展開される点に特色がある。
 宝木地区では、綱引き始め前日古町新町の二地区分かれて子供組幹部が各一か所に集まり寝泊まりし当日午前零時期して家々軒先挿したり、屋根あげたりしたしょうぶ・よもぎ・等の束を集める。早朝には、大人たちの助力でこれらを稲わらに綯【な】い込んでヨリヅナ(親綱)を作り、これにエダヅナ(綱)を取り付けて仕上げ古町男子たちは母木【もぎ】神社に、新町男子たちは両国梶之助寛文四年(一六六三)~宝永五年(一七〇八)鳥取藩の御抱力士)の墓に参詣した後、一同で綱を担いだ抱えたりして各地区内家々一巡し時折地面叩きつけたり路上を引きずったりする。綱引きは、両地区境界線とされる路上で行う。長さ十数メートル程の綱二本のはじを結び合わせた後、掛け声勇ましくヨリヅナ・エダヅナを抱えて三回引き合い勝負審判それぞれの地区の子供組の代表者一名による二名合議で行う。終了後砂浜海岸に場所を移し綱引き使用した綱で土俵作り対抗相撲取り終了後、綱をほど近い湊神社奉納し行事終える。
 他の地区綱引きは、宝木地区と同じ趣旨実施されるものの、水尻地区では、上条下条分かれ軒先挿した屋根にあげたしょうぶのほか、野山から刈り整えてきたで綱を一本ずつ綯【な】い、これを担いで地区内を一巡した後、二本の親綱の頭の部分結び合わせた後、男女の子供たちが三回引き合うその後男子たちによる相撲が行われ、ツナカクシ(相手方悟られないように綱を隠す)を終えた後に、上条方は板井神社石灯篭に、下条方は水尻神社奥殿の石台巻きつけて奉納する
 青谷地区では、町内を八区分し地区内の男女の子供たちが初節供迎えた家の前の路上などで綱を引く。綱は一本綱で、しょうぶのほか刈り整えた混ぜて綯【な】いあげる。
 また、大羽尾地区では、しょうぶ・よもぎ・だけで一本綱を綯【な】い、子供集団神社側と寺側とに分かれ砂浜海岸で綱を三回引き合い相撲を取った後、綱引き基点長短二つ切断したものを神社側の方は、お宮境内にあるタモ木に、寺側の方は、観音堂脇の桜の木垂れ下げる。
 因幡の菖蒲綱引きは、伝承地によって、その細部相違があるものの、軒下挿したり、屋根あげたりしたしょうぶなどで作った綱で引き合う点に特色があり、年占要素加えて豊饒祈願ないし、災厄除け意識が明確である。
 また、日本海岸に濃密な分布示した五月節供綱引き行事典型的なのである



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